フランス旅行顛末記 6

                Train depot 車庫

やっぱりブルターニュへ行こう

2011年5月17日、相棒がパスポート、国際免許証、この旅のためにワザワザとったクレジットカード、すべてを盗まれてしまったので日本大使館に電話をする。大使館員は大変親切で丁寧に説明してくれた。まず、クレジットカードを止めること、次は所轄の警察署に行き盗難届を出し証明書をもらうこと。

私達はアレジア地区にいたので、アレジア警察に行くことになる。その証明書を持って日本大使館に行けばパスポートの再発行が申請できるとのことだ。まず、クロードに警察署の場所を聞いて向かった。15分程で着くと、そこにはもう長蛇の列が出来ていた。黒人やアラブ系の人々が多い。

フランスの警察署は一度に大勢の人を建物内に入れないので、暑くても寒くても外に並んで待たなければならない。入口の横に別のガラスドアがあり、婦人警官が立っている。よく観察すると、彼女と話をして列に並ばず中に入る人がいる。それを見ていた私は、ダメもとでガラスドアに駆けより、へばりついてトントンとたたいて婦人警官にアピールした。

東洋人は目立ようで、彼女がやって来た。「どうしたのか?」と尋ねるので、実は相棒がパスポート等を盗まれて困っていることを伝えると、彼女はすぐにドアから私達を招き入れてくれた。ラッキー。 中に入ろうとすると、私達の前に並んでいた人が「何でお前達だけ特別扱いなのよ、不公平だ」と不満顔で叫んでいた。でも、警察が許可したのだからと、さっさと入る。

受付で名前と訪れた理由を尋ねられ、廊下右側の小さな部屋に通された。若い小柄なキビキビとした婦人警官がやってきた。名前、国籍、住所、出生地を聞かれた。相棒が長野県生まれだと伝えると、長野という響きに彼女が反応した。

「ナガノ、あのオリンピックが開催された、あのナガノね」と急に場がなごみ、ニコニコ顔になった。調書のスピードはますます上がり、数分で書きあげてしまった。「ちょっと待って、部署上役のサインが必要なの」といって出て行ったかと思うと直ぐに戻り、盗難届はあっという間に終了した。「Voila(ヴォアラ/さあ、どうぞ)」と言って書類を手渡してくれた。感謝の握手をして、その足で日本大使館へと向かった。

日本大使館は Ave.Hoche(オッシュ通り)にある。相棒がいうにはパリに住んでいた1960年代後半から、この場所にあったという。建物の入口には、日本の旗がはためき、ドアを入ると物々しい空港のセキュリティイーと同じ機械が備え付けてあった。黒人係員に「すべての持ち物を台に乗せて」と言われる。ここを通ると、やっと入口の受付嬢と話すことが出来る。

「パスポート盗難の件で来た」と彼女に伝えると、やっと内側からドアボタンを「ビー」と押し、もう一度外から私達がボタンをおして大使館内に入る。何個も鍵があるのは、やはりフランスらしい。中には仕切りのある机がたくさん並んでいた。入口のすぐそばには画像の悪いテレビが備え付けてあり、日本語放送が流れていた。

旅券課で数枚の書類を渡された。誓約書、盗難届、パスポート再発行申請書などを書いて提出した。その時、大使館員が「パスポートをとるには、戸籍謄本か抄本が必要ですよ」と言った。えっ、あと一週間で帰国するし、おまけに相棒は天涯孤独の身、日本には頼める人もいない、物理的に無理。

結局パスポートのかわりに渡航証明書だけを発行してもらうことにし、帰国してから戸籍謄本をパリに郵送することで解決した。これで、やっと一安心。少なくともフランスを出国して日本に辿りつくことが出来る。何故か、渡航証明書は帰国前日に発行されるという。というのも、その間にパスポートが見つかる可能性があるからだという。

大使館員は「最近、日本人旅行者のパスポート盗難が頻発しているんですよ」と話していた。私が聞いた話だが、日本国パスポートは闇ルートでよい値段で売買されていると聞いた。貴重品は肌身離さずしまっておこう。これで、あとは帰国前日に大使館にくるのみ。これからどうしようかと考えた。一日遅れたが、やはりブルターニュまで電車で行くことに決めた。切符はモンパルナス駅で購入して、ホテルもついでに予約した。3日間の予定だ。やっとブルターニュへ出発。

文:吉田千津子 写真:奥村森

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