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『奧村土牛研究員クロ』

奧村土牛研究員クロ

ボク、土牛研究員クロ、これからいっぱい呟くからよろしくね

日本画家・奧村土牛の作品や写真アルバム、いろいろなエピソードを野良猫クロが呟きます。この記事はすでにツイッターで発信したものです。美術に関心のない方でも、土牛の人生や画道を通じて興味をもって頂ければ嬉しいです。

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1923年 作品『犢(こうし)』

作品 『犢(こうし)』

「私は人物でも動物でも花でも、これからという若さを感じたものを作品の題材に選ぶことが多い」土牛談。大観先生の『朦朧体』に刺激され描いた意欲作、でも、シャープなのは足先だけ、『片ぼかし』の極意には届いていない。でも、頑張ったね。土牛研究員クロ

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1923年 素描『秋刀魚とザクロ』

1923年『秋刀魚とザクロ』

奧村土牛記念美術館にあるよ。関東大震災でそれまで描いたスケッチ、下図、作品、全て焼失したんだ。だから、この素描は現存する土牛作品として歴史的に貴重なんだ。秋刀魚とザクロの構成と構図の工夫、新たな発想に挑んでいるのがわかるでしょ。土牛研究員クロ

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1924年 作品『甲州街道』

作品『甲州街道』

「長く京橋に住まっていたが大震災に遭い、しばらく青山にいて世田谷高井戸の畑にある一軒家を借りた。甲州街道がすぐ近くにあり、作品に描いた場所は、今の烏山あたりであろう」土牛談。このシリーズ、翌年描いた『家』で中央美術賞をもらったんだよ。土牛研究員クロ

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1925年 作品『麻布南部坂』

作品『麻布南部坂』

「右の石崖は黒田侯爵家や黒田子爵家のお邸のあった敷地の一隅で、坂の遠くに今もある霊南坂教会堂を覗かせていて、構図が面白かった。当時、世田谷から越して、近くの赤坂一ツ木にいた」土牛談。この年開催された第6回中央美術展に出品した作品だよ。土牛研究員クロ

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1925年 素描『風景』

素描『風景』

この頃、土牛は穏やかな町の風景をよく描いている。大震災の傷跡を目の当たりにしながら、あえて平静を保っていたように見える。日本美術院課題研究会が再開され、出品した作品『鳩』が入賞、賞金15円をもらったんだ。土牛記念館に所蔵されているよ。土牛研究員クロ

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1927年 作品『胡瓜畑』

作品『胡瓜畑』

「世田谷瀬田あたりの農家に通って、苗を地植えしてからの胡瓜をずっと写生した。支え竹は実際はもっと長いが、構図としてこの辺の長さにした」土牛談。『胡瓜畑』は再興第14回院展で初入選。土牛のデビュー作とも言えるね。その畑は今もあるよ。土牛研究員クロ

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1927年 作品『胡瓜畑』の下絵

作品と下絵『胡瓜畑』

「実際の支え竹はもっと長かったが構図を考え、この長さにした」と土牛が語ったように、下絵では竹が長く描かれている。「画家は制作を進めながら美学を研くが、写真家はその一瞬のために予習する」とカッちゃんが言ってたよ。土牛研究員クロ

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1927年 作品『少女』

作品『少女』

「『犢(こうし)』で若さを感じたものを題材に選んだと言ったが、人物でも不思議に若い人を描いている」土牛談。モデルは十七か十八歳だった母方の従妹だ。師、梶田半古と小林古径は色香ある美人画を描いたけど、土牛の少女は素朴、いかにもでしょ。土牛研究員クロ

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1927年 作品『冬』

作品『冬』

「赤坂一ツ木にいた時の近所の風景である。赤坂麻布は丘また丘という地形で、絵として面白い風景だった」土牛談。日本美術院第12回試作展に入選した作品だよ。背景の住宅と前方の枯草を対比、中央に存在感ある木立、土牛が『冬』を深く表現したんだね。土牛研究員クロ

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1928年 作品『雨趣』

作品『雨趣』

「谷町に越した、この年の夏は殆ど雨。うすい胡粉で全体の調子をとりながら、見えるか見えないかの雨を一本一本描いた。今なら省くのだが、雨を細かく描く必要もないだろうと、新聞で批評された」土牛談。再興第15回院展に出品した作品だよ。土牛研究員クロ

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1929年 作品『蓮池』

作品『蓮池』

「一遍蓮を描いてみたかった。今はないが、芝増上寺の筋向いに観音堂のある蓮池があった。鷺は想像で組み合わせた。この年に結婚したが、結婚する年に蓮を描くとはと、皆に縁起でもないと笑われた」土牛談。この作品で日本美術院の院友になったんだよ。土牛研究員クロ

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1933年 作品『孤猿』

土牛が峡谷を描いた代表作といってもいいね。山梨の昇仙峡と上野動物園の猿を組み合わせた作品。速水御舟に感化され大胆な構図とモンタージュで内面表現をしたの。孤猿という題名は画家土牛の未来を暗示しているよ。カッちゃん大好きな作品なんだって。土牛研究員クロ

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1936年 作品『鴨』

作品『鴨』

第1回帝展のために制作した作品。『鴨』は上野動物園で写生した。毎日通っているうちに雪を連想するようになり、雪中の鴨にしたんだって。ひんやりとした雰囲気が、鴨家族の温もりを強調する役割を果たしているね。この作品は推薦一位になったんだよ。土牛研究員クロ

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1936年 作品『餌(烏骨鶏)』

作品『餌(烏骨鶏)』と養鶏に精をだす窪田幸子さん

当時の新進作家を九人集めた九皐会(きゅうこうかい)展作品。牛の歩みグループの仲間、農業家で学芸員の窪田幸子さんが育てる烏骨鶏の卵、ご飯にかけて食べるとおいしかったあ~。今は白血病でお休みしてるけど。この絵観て早く元気になってね。土牛研究員クロ

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1939年 作品『八瀬の牛』

作品『八瀬の牛』

友人の画家、酒井三良子(さんりょうし)、太田聴雨と京都画壇の小林柯白を訪ねた。茶屋で休憩していると、庭に八瀬の農家から牛を連れて来てくれた。それを描いた作品だよ。柯白は胃潰瘍で48歳の若さで他界したんだ。写真は、この年の土牛だよ。土牛研究員クロ

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1946年 作品『雪の山』

作品『雪の山』

「疎開中の終戦直後、湯田中を訪ねた。これは湯田中と志賀高原の途中の景色である。雪の白い立体と杉や落葉松の濃い緑の諧調が面白かった」土牛談。写実から抽象絵画に脱皮するきっかけとなった作品。『線と面』で描く土牛画風の始まりだよ。土牛研究員クロ

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1946年 素描『冬山』

素描『冬山』

これも奧村土牛記念美術館所蔵作品だよ。描いた場所が特定できればいいな。湯田中から志賀高原に向かう途中なら、もっと立体的に描いてると思うんだ。写実だから佐久なのかなと。土牛研究員クロ

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1946年 素描『牡丹』(左画像)

素描『牡丹』二点

奧村土牛記念美術館所蔵。この素描には「南佐久桜井村ニテ」と記されている。臼田で暮らしていた時に描いたものだね。円熟期の素描と比べると、線が直線的で無機質だけど丁寧に描いているね。1965年素描作品『牡丹』との違いを比べてみてね。牛研究員クロ

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1947年 作品『緋鯉』

作品『緋鯉』

「信州臼田に疎開していたが、附近の農家や家柄のある家の庭には、大概大きな池があって観賞用の鯉を飼っていた。この鯉ではないが二百年もたっているという鯉を見せてもらったことがある。威厳のある顔をしていた」土牛談。鯉を描いたのはこれが初めてなんだって。土牛研究員クロ

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1947年 作品『啄木鳥』

作品『啄木鳥』

新憲法実施並びに東京都美術館開館20周年記念現代美術展に出展した作品だよ。白樺のある風景となると、白樺湖か八千穂高原だろうね。啄木鳥の配置と樹木の諧調、そして黄金比を相当考えて構成したね。土牛研究員クロ

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1947年 素描『天龍峡』

素描『天龍峡』

奧村土牛記念美術館所蔵。土牛は峡谷が大好き。何故って、中国宋時代に描かれる山水画に沢山登場するからね。素描を眺めると紅葉の季節かな、天龍峡は荒々しく豪快だけど、土牛が描くと穏やかな風景になってしまうのが面白い。

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1947年 素描『松本城』

素描『松本城』

城の側面だけを描いた土牛にしては珍しい構図だね。この年、帝国芸術院会員に任命され、秋から佐久穂積の黒澤合名会社の離れに住むようになったんだ。縦長に描いているところから想像すると軸にしようと思ったのかな。土牛研究員クロ

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1950年 素描『佐久風景』

素描『佐久風景』

土牛記念美術館所蔵。「疎開してた頃、佐久は雪は少なく、ものすごく寒かった。頬っぺたや手は、真っ赤に腫れあがり、青っぱなを垂らしてカサブタのように固まっていた」カッちゃん談。そんな光景を絵にしたんだね。ハテどこだろう、わかると嬉しいな。佐久の方から、この場所は南佐久の高岩ではないかとの連絡を頂きました。土牛研究員クロ

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1950年の幽霊事件 1

土牛を訪ねて、若手画家が穂積までやってきた

1950年の幽霊事件の話をするね。。東京から父を訪ねて5人の若手画家が穂積までやってきた。食料不足だから大したご馳走はできなかったけど、その夜は、母の姉・森静江がご飯の残りを壺に入れて発酵させた濁り酒を振る舞い歓待したんだ。みんな喜んでいたよ。土牛研究員クロ

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1950年の幽霊事件 2

黒澤合名会社集会場(輪廻mama氏撮影)と土牛を訪ねた画家たち

カッちゃんは5人の若手画家の顔は知っているけど、女流画家が遊んでくれたので、二人の名ははっきり憶えているよ。後列左・吉澤照子さんと3人目・西川春江さん。二人とも画家として活躍されたよ。西川さんのあだ名は『はんぺん』さん、気さくで親しみある人柄だからだろうね。土牛研究員クロ

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1950年の幽霊事件 3

後列左が土牛、右が善次郎さん 後列左が照子さん

おはよ、土牛は尋常高等小学校に入学。一番の親友は、道の向いに住む吉沢善次郎さん、ぜんちゃん、よっちゃんと呼びあう仲だったんだよ。学校から帰ると二人で絵を描いて遊んだんだ。後列左の女流画家は善次郎さんのお嬢さん、吉沢照子さん。親友の家族との絆も大切にしてたんだ。土牛研究員クロ

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1950年の幽霊事件 4

土牛が疎開で暮らした家 長野県南佐久郡穂積村

5人は食事が終わると今夜泊まる大広間に移った。この部屋は『百畳広間』と呼ばれ、現在、奧村土牛記念美術館メイン展示場になっている場所だよ。その日は強風で木立がヒューヒューとなり。雨戸がカタカタと音をたてる不気味な夜だった。土牛研究員クロ

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1950年の幽霊事件 5

黒澤家宴会場離れ 奧村土牛家族が疎開中住んでいた家
写真左は上原あき氏、右は高橋博美氏撮影

画家5人組は床に入ったけど、恐くて眠れなかったみたい。そのうち女のうめくような声が聞こえる「ウ~、ウ~、ヒゥ~ゥゥ~」。5人は飛び起き、寝間着姿で一目散に土牛家族が寝ている離れに駆けこんだ。時刻は草木も眠る丑三つ時。土牛研究員クロ

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1950年の幽霊事件 6

黒澤家宴会場離れ 奧村土牛家族が戦後住んでいた家
写真ひだりは上原あき氏、右は輪廻mama氏撮影

渡り廊下のスノコを「ガタガタガター」と騒々しい足音が聞こえたかと思うと、玄関を「ドンドンドン」と激しく叩く音。一階の八畳間に川の字に寝ていた土牛家族全員、なに事が起きたのかと飛び起きたよ。土牛研究員クロ

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1950年の幽霊事件 7

静江おばちゃん(森静江)と土牛家族が暮らした離れ
右2枚の写真は高橋博美氏撮影
黒澤合名会社大広間(現奧村土牛記念美術館)
高橋博美氏撮影

部屋の玄関に一番近い所に寝ていた静江おばちゃん(土牛の妻の姉)が「はい、開けますからちょっとまって」と応えた。「5人は肩で大きく息をしながら顔面は蒼白だった」とカッちゃん、大きくなってから静江おばちゃんから聞いたんだって。土牛研究員クロ

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酒井三良子さん1

奧村土牛と酒井三良子 山形県米沢のスケッチ旅行で 1958

土牛の親友といえば酒井三良子(さんりょうし)さん。1938年の福島から青森への旅に始まり、二人は数えきれないほどの写生旅をしたんだ。酒井さんは背が高くて二枚目、土牛はずんぐりむっくり、出掛ける度に滑稽なエピソードが生まれるので『弥次喜多コンビ』と言われた。土牛研究員クロ

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酒井三良子さん2

奥村土牛と酒井三良子

酒井三良子さんは福島県出身、土牛が9歳年上だったけど、とっても仲よしだったんだ。初めての二人の写生旅が福島だったから土地勘のある酒井さんが案内したんだろうね。酒井さんの画風は、品のある素敵な墨絵を描かれていたよ。インターネットで検索できるから観てね。土牛研究員クロ

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酒井三良子さん3

素描『柿』

土牛と酒井さんは京都の大文字屋にいつも泊まっていた。必ず写生が終わると、その日行った所のスケッチの話をするんだ。いつものように帰京する時、余りにも話に夢中になって、二人とも宿のスリッパを履いたまま家に帰った。「お父さん、草履は」ってみんなに言われちゃった。土牛研究員クロ

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酒井三良子さん4

武者小路実篤さんを訪問する酒井三良子さんと奥村土牛 1960

土牛と酒井さんは、武者小路実篤さんを訪ねた。お喋りは実篤さんの独壇場。「絵描きはいいな、一枚描くだけであんなに貰えて。作家の絵は句を付けても一文にもならない」と笑った。同行した15歳のカッちゃんは、「教科書に出てくる大作家が」とカルチャーショックを受けた。土牛研究員クロ

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疎開先 臼田町

疎開先、臼田町の奥村土牛家族 Jun. 1946

疎開先、臼田町の話をするね。「1947年4月、気ぜわしさが肌身で感じられるようになった。田舎でも物資がなくなり、食物は手に入らなかった。その頃、末っ子勝之は2歳、栄養がとれず可哀想であった」土牛談。土牛に抱っこされているのがカッちゃんだよ。土牛研究員クロ

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『鯉』のエピソード

作品『鯉』と下絵

1946年に描いた素描『鯉』は、1947年の作品『緋鯉』の下絵。お父さんがカッちゃんのために作った鯉のぼりは、真ん中の鯉一尾を表用途裏用二枚描いて張り合わせたものだよ。この鯉、土牛に顔と身体つきがそっくりなの、生き写しだよ。土牛研究員クロ

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お願い

素描『佐久より見た浅間』『佐久より見た八ヶ岳』

添付した2枚の絵を描いた場所を探してもらえない。1947年に佐久で描いた土牛記念美術館所蔵の作品だよ。見つけたら写真撮って報告してくれる。お礼は出来ないけど、取材者署名入りで奧村土牛資料室の記事として掲載するよ。みんな、一緒に土牛研究員になってくれない。クロ

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1947年 素描『佐久より見た八ヶ岳』の現場

1947年 素描『佐久より見た八ヶ岳』と現場写真

先日、佐久のみなさんにお願いした1947年 素描『佐久より見た八ヶ岳』を描いた現場写真を高橋博美さんが撮影してくれたよ。黒澤合名会社(現 奧村土牛記念美術館の裏庭から眺めた八ヶ岳に間違いないね。これで裏付けが出来たよ。高橋さん有難うございます。土牛研究員クロ

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