1958-1960年 土牛と酒井三良子

土牛の親友といえば酒井三良子(さんりょうし)さん。1938年の福島から青森への旅に始まり、二人は数えきれないほどの写生旅をしたんだ。酒井さんは背が高くて二枚目、土牛はずんぐりむっくり、出掛ける度に滑稽なエピソードが生まれるので『弥次喜多コンビ』と言われた。

酒井三良子さんは福島県出身、土牛が9歳年上だったけど、とっても仲よしだったんだ。初めての二人の写生旅が福島だったから土地勘のある酒井さんが案内したんだろうね。酒井さんの画風は、品のある素敵な墨絵を描かれていたよ。インターネットで検索できるから観てね。

       奧村土牛と酒井三良子 山形県米沢のスケッチ旅行で 1958

土牛と酒井さんは、京都に出掛けるといつも定宿の大文字屋に泊まっていた。写生が終わると、その日行った所のスケッチの話をするんだ。いつものように帰京する時、余りにも話に夢中になって、二人とも宿のスリッパを履いたまま家に帰った。妻の仁子に「お父さん、草履は」ってに言われちゃった。

             奥村土牛と酒井三良子さん

土牛と酒井さんは、武者小路実篤さんを訪ねた。お喋りは実篤さんの独壇場。「絵描きはいいな、一枚描くだけであんなに貰えて。作家の絵は句を付けても一文にもならない」と笑った。同行した15歳のカッちゃんは、「教科書に出てくる大作家が」とカルチャーショックを受けた。奧村土牛研究員クロ

     武者小路実篤さんを訪問する酒井三良子さんと奥村土牛 1960

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