「妻子は信州に疎開させ、死んでも疎開は嫌だという母を守り、長男と妹の四人で東京に踏みとどまった。博物館前に高射砲座があって、それを狙い爆弾や焼夷弾が落とされ惨憺たる有様だった。妻子の疎開先信州上田側から描いた」土牛談。大変な時代だったね。
佐久在住の高橋博美さんによると「この奥にある山は菅平のように見える。冬場に寝雪になるのは菅平くらいしかありませんから。 真田辺りから描いたのではないでしょうか」との情報を頂いたよ。奧村土牛研究員クロ
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