3 モネの睡蓮の池

           Garden of Claude Monet モネの庭園

パリから西北へ約90キロ、セーヌ川の支流と緑豊かな小高い丘に囲まれた小さな村ジヴェルニー。ここにクロード・モネが43歳から移り住んだ家がある。以後、モネは光の変化の瞬間を精力的に捕えながら絵を描き続け、生涯をこの地で過ごした。

モネは、広重の浮世絵「名所江戸百景・亀戸天神境内」に強くひかれ、自宅に日本庭園を造った。それを描いたのが有名な「睡蓮の池」と題する作品だ。モネは浮世絵師が描く花鳥風月に深い関心を抱いた。洗練された感覚で表現される四季の変化と余分なものを省く大胆な構図に魅せられたからだ。

しかし、興味を抱いて単なる模倣に終始するのではなく、独自の境地を表現しているからこそ、印象派の巨匠と呼ばれる由縁なのだろう。ジヴェルニーに移った頃、モネは絵が売れず、経済的に極めて貧しかった。最初の妻は次男を出産した翌年亡くなり、やがてアリス・オシュアと再婚する。

アリスの連れ子と彼の2人の子供を合わせ、一挙に子沢山となった。生活はより厳しさをましたに違いない。ジヴェルニーを取材に訪れた5月中旬は、晴れたり曇ったり雨が降ったり止んだりと一日中目まぐるしく天候が変化する。

写真撮影には最悪のコンディションだ。しかし、モネならモチーフを凝視し、一瞬の移ろいも見逃すまいと脳裏に焼き付けたに違いない。「その粘り強さこそがモネの本領ではなかったのか」とさえ思えてくる。

モネの池の中央には太鼓橋がかけられ、そこには鈴なりの観光客が写真撮影に余念がない。そして、橋のほとりに植えられた藤の花が美しく咲き乱れていた。睡蓮の花が咲いていなかったので池の監視員に何時頃に開花するのかと尋ねると「6月の初旬には咲きますよ」と教えてくれた。睡蓮の時期には少々早すぎたが、絵でしか見ることのないモネの池を眺めながら、モネの気持ちを推察できたのは嬉しい。

文と写真:奥村森

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