7 ダニエル・ペルニ

     Daniel Pernix & his family ダニエル・ペルニさん とその家族

1996年5月、ダニエル・ペルニさんを訪ねた。彼の工房は、田園地帯に垂直に切り立つ岩山の頂上から1キロほど下った「カテドラル ディマージュ」と呼ばれる急斜面にあった。事務所兼アトリエは、石灰岩の大きな岩山をくり抜いた洞窟内にあり、入口には彼の彫刻作品が並べられている。柔らかな曲線で表現される作品と豪快な岩山が調和して面白い。

プロヴァンスは芸術を学ぶには便利な場所にある。フランス国内は元よりイタリアにも容易に訪れることが出来るからだ。ダニエルさんはイタリア北東部のアドリア海に隣接する都市、ヴェネツィアの文化財修復学校で学んだ。作家活動同様に「僕は何でも創る石職人」と修復師としての誇りを持っている。

彼の重要な仕事の一つに教会の修復作業がある。とりわけ聖堂は、神の家として強い象徴性が要求される。そのためか作品には鳥獣顔をした守護像が数多く見受けられる。ダニエルさんのヴェネツィア留学は技術習得、東方・北方文化とのふれあい、修復作業を通して歴史遺産の重要性など精神を高める貴重な体験となった。

1959年、彼は、サン・レミで生まれた。サン・レミはゴッホが1888年にアルルで精神病発作から左耳を切断する事件を起こした後、入院したホスピスで精神病院でもあった旧サン・ポール・ド・モーゾール修道院がある町として知られている。

ダニエルさんは、ゴッホの愛人であった「ラケルの裸像」を作品化している。素材は、アトリエのある場所で産出する石灰岩を使っている。ほどよい硬さが彫刻に適しているのだという。「ラケルの裸像」は円やかな曲線で東洋的エロティシズムが感じられる。

郷土の話をモチーフにして地元素材を使い、ヴェネツィア的感覚が生かされ、プロヴァンスの恵まれた芸術環境に相応しい作品だ。彼は、早朝から夕方まで工房で作業を続ける。仕事場には、助手1人しかいないので営業活動もこなさなくてはならない。彼は妻のシルヴィーさんと3歳になる娘のノエミーちゃんとの3人暮らし、家族の生活はダニエルさんの双肩にかかっている。

昼時になると、シルヴィーさんがノエミーちゃんを伴って弁当を運んで来るのが日課だ。ノエミーちゃんは訪れた異邦人に臆する気配もなく、握手とキスで迎えてくれた。国際性豊かなプロヴァンスならではと感心させられる。そうかと思へば、カメラを向けると突然泣き出してしまう子供らしいシャイで素朴な一面も覗かせる。

「シルヴィーとノエミーのお陰で、安定した気もちで仕事に集中できます。昼食をとりながら家族団欒の時間を過ごせるのも最高。もし自分の工房が都会にあったなら、こんな充実した日々をおくることは出来なかったでしょう。プロヴァンスに満足しています」とダニエルさんは満面の笑みを浮かべる。

彼は夕方になると、20キロ離れた自宅に帰る。アトリエの留守を預かるのは愛犬の役目。普段はおとなしい愛犬だが、夜は主人の大切な作品を護る役目をしている。プロヴァンスは地中海を通じて多種多様の人種や文化を受け入れてきた。加えて、芸術コミュニティーの構築意識も強く、家族を大切にする土壌もある。やはり、プロヴァンスは芸術家が創作するに必要なすべての条件を満たす「母なる大地」なのかも知れない。

現在、ダニエルさんの Val d’Enfer にある彫刻アトリエのは、個人や企業の様々なエンターテインメントを行う壮大なイベントスペースが創設されている。収容人員は200人。結婚式、セミナー、絵画個展など、ビデオ投影設備も完備され、白い石灰岩の壁に大きく映し出された絵画画像も見ごたえがある。屋外イベントも木々の茂った1ヘクタールもある広い会場で行なわれている。またプロヴァンスに行く機会があったら是非訪ねてみたい。

文と写真:奥村森

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