76 機内で出会った人々

乗務員の仕事はチズちゃんにとっては最高だった。アメリカに飽きた頃に東京に行き、美味しい日本食を食べて帰国する時には美味しい日本食品を山ほどカバンに詰めて帰る。何不自由のない生活。時々リオに行ってはシュラスコ(ブラジルのBBQ)やガレット(丸鶏のロースト)を味わっていた。

1971年にマクドナルド1号店が銀座三越一階にオープン、歩行者天国に拍車をかけた。また、明治屋近くにカプリという本格的なピッツァを食べさせる店もオープン。ブラジルの同僚たちは美味しいピッツァが食べられると喜んだ。その頃はピッツァもハンバーガーも日本人には馴染みのない食物だった。

チズちゃんは機内でいろんなお客様と出会った。福澤さんは仕事で月に一度はロスと東京を往復していた。彼の仕事は日本の企業にアメリカの企業を紹介する日米の架け橋的な仕事をしていた。伴侶はブラジル人で名はマリア、気さくな人でチズちゃんと気が合い一緒によく食事をした。

いつも顔を会わせる日系アメリカ人夫婦がいた。ニシオ夫妻だ。奥さんのエスターはフライング・ダイガー(今は無い)というアメリカの大手航空貨物会社の秘書として長年勤め、年に何回か東京に住む母親を訪ねていた。ニシオ夫妻は、機内サービスのネルで濾すブラジルコーヒーの大ファンだった。

ニシオ夫妻は、機内でチズちゃんに会う度に「本当にブラジルコーヒーは美味しい」と毎回言っていた。それでチズちゃんもそれに応えて、沢山ある備品のコーヒーをニシオ夫婦にプレゼントした。彼等はとても喜んで、そのコーヒーが縁で友達となり、以来40年以上経った今もお付き合いしている。三毛猫タヌー

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