79 チズちゃんの仕事と生活

ロス生活にも慣れたチズちゃんは、26歳になっていた。チズちゃんのお母さんの心配は娘の結婚だった。ある日、実家に戻ると釣書と書かれた見慣れない紙を発見。そこにチズちゃんの略歴が書かれ、ピンときたチズちゃんは自分の相手は自分で探すから、余計な事はしないでとお母さんに詰め寄った。

お母さんは、その後諦めて何も言わなくなった。実をいうとチズちゃんは全然結婚する気はなく仕事に燃えていた。結婚という言葉も頭をよぎらなかった。Varig航空では10年間勤務しても、まだまだ中堅で定年まで働いている人が沢山いた。チズちゃんは10年以上は絶対に働きたいと思っていた。

仕事に生きる女は素晴らしいとチズちゃんは考えていたし、最低十年は同じ所で働かないと本当の仕事は身に付かないと思った。それに結婚することが全てではない。人に頼って生きるより自分で自立して生活するほうがずっと良い。いずれ結婚したとしても仕事を辞める気は毛頭なかった。

仕事といえば飛行機が満席の時は大変だった。今のように食事用のカートが無かったので、いちいち厨房から両手に重いトレーを二つもって運ばなければならない。メインディッシュの容器は陶器、フォーク、ナイフも今の様にプラスチックではなくステンレス製だから、何しろ半端な重さじゃない。

お食事が終われば、またそのトレーを厨房に同じ数運ぶのだから重労働。両腕はパンパンになり筋肉がついてポパイの様になった。機材がDC10になってからはカートにトレーを入れたままサービスできるようになり食事のサービスは格段と楽になった。

チズちゃんはブラジルで給料をもらい、東京では日給、ロスでは生活費を貰っていた。月の半分は仕事だからロスにはほとんど居ないので使う暇がない。ロス・ベースのブラジル人達はちゃんと貯金をし、リオに帰るとアパートを買ったりしていた。チズちゃんはおバカで、そんなことは全然頭になかった。

2年に一度健康診断のためにリオに行くと、シュラスコ(BBQ)やガレット(若鶏のロースト)を友人達と食べたり、好きな靴やバッグを何個も買ったり、まるでイメルダ夫人のようだった。今考えると若気の至り、もう少し賢く貯めていればリオにアパートの一軒ぐらいは買えたのに。後悔先に立たず。

テリーは相変わらず、チズちゃんがロスに居る時は遊びに来ていた。時々、テリーが住んでいる叔母さんのウェディング・チャペルに遊びに連れて行ってくれた。それはベルガーデンという地区にあり、名前は綺麗だが、治安は余り良くない所。叔母さんの名はドナ。とてもやさしい人だった。

テリーの叔母は、ビジネスウーマンで長年ウェディング・チャペルを経営していて、とてもうまく行っているようだった。彼女は何度か結婚していて、すでに40代の息子もいたが15歳年下のバドという人と結婚していた。彼はとても働き者で陽気な男、チャペルの修繕をしたりして何でも出来る人だった。三毛猫タヌー

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