95 チズちゃんスーパーでナンパされる

ある日、ヒューズ・マーケットに出掛けた。買い物後レジで並んでいると、すぐ後ろにハンチング帽をかぶった東洋人のおじさんがチズちゃんをずっと見つめているのに気がついた。年は70代ぐらいだがロスには様々なアジア人がいるので国籍は分からない、チズちゃんは気がつかないふりをしていた。

アメリカ人シニアは気もちが若く活動的。日本人のように「もう、歳だから」と弱音をはくシニアは少ない。80歳代になっても結婚したカップルを何組も知っている。何事に対してもチャレンジ精神に富み、子ども達に頼らず自立をするのがモットー。だから「年寄りの冷や水」という言葉は似合わない。

マーケットのレジに並んでいると、先程からチズちゃんをじっと見つめていたおじさんが「日本人なの」と日本語で突然尋ねた。近所で日本人を見かけるのは珍しいので話かけたらしい。彼はすぐそばに住んでいて何時もこのスーパーで買い物をしているという。

70年代当時は日本食を売っているスーパーは少なく、この店では割と新鮮な魚や日本食が手に入った。帰りに、そのおじさんはチズちゃんに「近所だから何時でも遊びにいらっしゃい」と言って名前と住所と電話番号を書いた手書きのメモをくれた。そこには菊池と書いてあった。

菊池さんは、とても優しそうでニコニコして愛想の良いおじさんで危険もなさそうだったのでオフの日、電話をして遊びに行くことにした。電話口には奥さんが出た。奥さんは「いらっしゃい、いらっしゃい」と快い返事だった。

菊池さん宅は、チズちゃんの家から車で10分ほどの隣町バーバンクにあった。家は小高い丘の上にあり、庭はとてもキレイに整備されていた。家はそんなに大きくはないが、沢山の花が咲き誇り、緑が多く日当たりがよく明るい。裏庭にはプールもあった。

おじさんとおばさんは二人暮らし、熊本県人。おじさんは一世でガードナーを退職、おばさんは帰米二世だ。帰米二世とは戦前アメリカで生まれて親が日本語を学ばせるために教育(小学校、中学校)を日本で受けさせて後にまたアメリカに帰った人達である。おばさんは英語も日本語も流暢に話した。

おばさんは、おじさんより一まわり年下で退職して数年たっていた。以前はハリウッドの女優のドレス・メーカー(お針子さん)で彼女達の映画撮影用の衣装を縫っていた。ジョーン・クロフォードやグレタ・ガルボの担当で、結構わがままな女優が多くて苦労した話やエピソードを聞かせてくれた。

おばさんは、ずっと仕事で忙しく暇もあまりなかったのでリタイア生活でまず始めたのは、以前からやりたかった水彩画の勉強だった。チズちゃんもおばさんに勧められて水彩画を始める事にした。昔から絵を描くのが好きだったチズちゃんにとってはピッタリの趣味だった。

水彩画でも透明水彩画なので透明感があり、結構水のコントロールが難しい。週に一度はグレンデール市の水彩画教室に通い、時間のある時には、おばさんと一緒にアメリカ人の友人達と庭に咲いているブーゲンビリアやエンジェル・トランペット、ボトル・ブラッシュなど様々な花を描いた。

チズちゃんは花を描くのが好きだった。その後、市のアートショーに出品して賞を何度かもらった。乗務員の訓練学校で一緒に学んだリュウジ君がチズちゃんの絵を観て気に入り、買ってくれブラジルに連れて帰ってくれた。一緒にフライトをしていたアメリカ在住の同僚達も何点か購入してくれた。三毛猫タヌー

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