105 テリーとチズちゃん、人生の曲がり角

1979年はVarig航空の飛行機行方不明事件があった年だった。この年チズちゃんの人生も大きく変わろうとしていた。テリーとチズちゃんが結婚して6年目。チズちゃんが飛び始めてはや8年、年月が経つのは早かった。相変わらず毎月、月の半分は日本に滞在する生活だった。

いつもなら東京からロスに帰るのが楽しみだったが、いつしか東京からの帰路のフライトは気が重くなり始めた。二人の間に特別に何か問題があった訳ではないが、何年ものすれ違い生活、長年一緒に暮らして感じた価値観の違い、異なる経済観念にチズちゃんは徐々に違和感をいだき始めていた。

テリーは子供時代の貧困生活がトラウマになっていて、お金に執着していた。一方チズちゃんは、お金は何とかなる「お金は天下のまわりもの」と呑気だった。結婚して直ぐにテリーは、チズちゃんの貯金で財テクを始めた。指南役は教会の投資好きのおじさん。そして早速株を少しずつ買い始めた。

チズちゃんは、財テクは水モノなので余りよくは思っていなかった。テリーは毎朝新聞を見ては自分の株がどうなっているかをチェックするのが日課だった、そして結果をノートに書きつけていた。その点は勉強熱心だった。

チズちゃんはお金を増やすことなど頭に一切ないから、必要なものは買うし、余ったお金は貯金するぐらいだった。フライトから帰ると4~5日の休みがあるが、時差ボケもあるので中々朝早くは起きられず、9時頃に起きる。夜は遅くまで目が冴えていて宵っ張りになる。

同僚の中には、昼夜が逆転している人達がいた。そのため、電話は昼過ぎでないと繋がらない。ロスに帰るとすぐに家の掃除や郵便物の整理、スーパーでの買い出しで忙しく、余り出掛ける気にもならなかった。それもあり、ほとんど無駄使いはしなかった。時々レストランで食事をするくらいだった。

チズちゃんは経済的に恵まれていた。ブラジルで給料を、日本に行くと日給を、ロスでは滞在費として十分な額を貰っていた。1カ月の内半分しかロスにいないので、お金を使う暇がなかった。2人で暮らすには十分過ぎるほどだった。そのおかげでテリーはロースクールに心配せずに通えた。

休暇の過ごし方についても、テリーと意見が合わなかった。チズちゃんは何時も飛んでいるので年一度の1ヶ月の休暇は、ゆっくり家に居て仕事をしている間に出来なかった事をしたいと思っていたが、テリーは休みだから海外旅行をしたいという。チズちゃんは仕方なくテリーの望みを優先した。

テリーに付き合ってヨーロッパ各地、南米、アジアを旅行してまわった。でも、チズちゃんの本心は時差で疲れている体を休ませたかった。勿論テリーの気もちも分からないではない。折角の休暇、旅行したい気もちも判る。そんなこんなで色々と考え方の違いが顕著になっていった。

チズちゃんとテリーの考え方の違いが顕著になった頃、テリーも独立してミッド・ウィルシャーにあるビルの一角に弁護士事務所を構えていた。最初の顧客はチズちゃんの仕事仲間の友人や知人だった。テリーは企業弁護士を目指していた。

日本語が堪能でチズちゃんの知りあいということもあり、最初のうちはテリーの弁護士事務所を訪れる顧客は圧倒的に日本人が多かった。顧客の用件は、移民局関連の手続きをすること。そのために日本人秘書を雇った。仕事は順調だった。

テリーはどちらかと言えばおとなしく控え目な性格だったが、弁護士になってからは少し変わり始めた。ある日、テリーはチズちゃんに「法廷で自分が弁護する時は気分がいい、みんなが僕に注目してくれるから」とチズちゃんに話した。

顧客が増えるに従ってテリーは、今までのおとなしく控え目な性格はなりを潜め、強気で時には傲慢な態度を見せ始めた。チズちゃんはそれがイヤだった。人間として何時も謙虚でいて欲しかった。時にはテリーを諫めたりもしたが、彼は全然気にしていないようだった。

結婚当初の計画では、テリーの仕事が軌道に乗ったら、チズちゃんは航空会社を止めて大学に行き勉強をしながら家族を作るはずだった。でも、チズちゃんは何故か不安にかられ、仕事を止める気にはなれなかった。

テリーとの経済観念の違いで、彼は良い意味では倹約家、悪く言えばけちん坊。なので、もし仕事を止めてしまうと、いちいち何を買うにも文句を言われるのではないか。今は自分で働いているから良いが、働くのをやめたらと思うとちょっと怖かった。

こんな事があった。結婚して2年目の休暇にスイスに旅行した。その時、子供のころから欲しかった鳩時計を買おうとした。1時間ごとに小さな窓から鳩が出てきてポポー、ポポーと鳴くのがたまらなく好きだった。いざ買う時になるとテリーが「すぐ買わない方がいい一晩考えてからにしたら」と却下。

仕方なくテリーの言い分に従い、翌日まで待つことにした。だが、次の日は生憎日曜日、結局買う事が出来なかった経緯がある。チズちゃんはガッカリした。ちょっと値の張る物を買おうとすると、必ずテリーに邪魔された。チズちゃんは自分のお金の使い方をとやかく言われる筋合いはないと思った。

チズちゃんは無駄使いしないが、必要なものは買いたい。必要なものにいちいち文句をつけられるのはイヤな気分がする。テリーが将来そうなるかどうかは分からないが、そんな気もちが先行した。こんな不安な気持ちで仕事は止めたくないと思った。何時もチズちゃんは経済的に自立しておきたかった。

勿論、テリーにも良いところは沢山あった。仕事から帰るとすぐに自分の着ていた背広にブラシをかけてクローゼットにかけた。一週間に一度は自分の靴とチズちゃんの靴全部を集めてキレイにピカピカに磨き上げたし、食事のあとにはチズちゃんが疲れている時には進んで食器を洗ってくれたりもした。

物も大事にする人だったから、高校時代に着ていたシャツも弁護士になったあとにも相変わらず着ていた。確かにテリーは倹約家だった。今になって考えてみると、そのお陰で後に、チズちゃんにとっても助けられた事があったのでテリーに感謝する事も忘れてはならないと思う。

この頃になるとチズちゃんは、仕事をずっと続けたいと思う様になっていた。一方精神的にはつらく、うつ状態が続いていた。仕事をしている最中でも、涙が出てきて泣いてしまいそうになるほど不安定な精神状態だった。このままではいけない、このままではダメになると心の中で思った。

仕事を止めるとなると家にずっと居ることになる。毎日テリーと顔をあわせる生活は辛いとの堂々巡りの考えの中で一生懸命仕事に集中しようと努めた。こんな状態でも絶対に頑張って10年間は働きたいと考えた。この間二人には会話はほとんど無かった。

こんな状態が数カ月続いていた。ある日、東京のフライトから帰ってみると、デンにあった小さな朝食用の折り畳みテーブルとチズちゃんがブラジルから買って来た皮のスツ-ル、テリーの洋服などが無くなっていた。数日してテリーから「別居することにした」との電話が入った。

テリーの一方的な電話でチズちゃんはムッとした。二人でよく話し合ったわけでもないのに突然別居を決めるのは、ちょっと身勝手過ぎると思った。テリーの言い分は「別居した方が互いに冷静に考えられる」との事だった。チズちゃんも、その方が家でゆっくりと休める気がして受け入れることにした。

別居は離婚の始まりという思いがチズちゃんの脳裏をかすめた。テリーはサンタモニカの小さな古いアパートに引っ越していた。彼はずっとビーチのそばに住むのが子供の頃からの夢で住むのならビーチのそばと常々言っていた。こんな不本意な状態でその夢は実現した。三毛猫タヌー

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