後は引越業者を探さなければならない。たまたま友人の知り合いが勤めている西濃運輸が日本までの引っ越しを扱っていると聞き、引っ越しの見積もりをしてもらうことにした。家中の荷物を段ボール箱に詰めるといっても、どこから始めていいのやら途方にくれる。それに何個の段ボールが必要かもわからない。
そこは業者、何時も引っ越しをしているプロだから私達とは違う。我が家にやってきて部屋の中を見たり、クローゼットの中を見たりして大体段ボールにしてどれぐらいかを割り出して引っ越し料金を決める。結局、ざっと見積もって4千ドルということになった。ピアノは別料金になると言う。
荷物は船便で約1カ月かかり日本に着く。すべての荷物をマンションに持って行くわけには行かないので日本に到着後、国分寺に送るものと実家の宝塚に送る荷物を仕分けするために段ボールの外側に分かりやすく、国分寺の国と宝塚の宝と書いて置く必要があった。
愛犬ドンちゃんを乗せるために買ったフォルクスワーゲンのカブリオレも日本に持って行く必要もないので手ばなすことにした。すると会社の支局長が欲しいとのことで譲ることにした。譲る時期はチズちゃんが帰国する前までギリギリ使えるようにしてもらったので助かった。ロスでは日本のように公共交通が少ないので車がないと何もできない。
あとは、家を空き家にしておけないので誰かに貸さなければならない。友人のリリーが不動産屋に働いていたので、彼女に探してもらうことにした。すぐに借り手が見つかった。消防署に勤めている40代女性で独身、経済的にもしっかりとしているという。アメリカでは家を貸す場合には不動産屋は必ず相手の経済状態をスクリーニングすることが出来るので安心だ。
スクリーニングとは、テナントの支払いが滞っていると、クレジットの評価は下がり余り良くない数値となる。なので、良いテナントを探すにはクレジットの評価の高い人を探す必要がある。不動産屋としても問題のあるテナントは避けたいのが当然だ。
日本に持っていかない大きな家具などは、友人や近所の知り合いに声をかけて欲しい人に貰ってもらうことにした。ベッドルームのドレッサー、ソファーベッドやリビングの4人がけのカウチも、すぐに貰い手が決まった。家の中はだんだんと歯が抜けたようにガランとなった。あと3~4か月したら東京での生活が始まる。
日本にフライトする度に仕事を辞めたら読もうと買い集めた日本語の本の山をどうしようかと考えていた。すると友人が「ダウンダウンにある日本文化会館に寄付すれば喜ばれ、無駄にせずにすむ」と教えてもらったので、車に乗せてリトル東京まで持って行くことにした。
いよいよ荷造りの始まりだ。引越業者から山のように段ボール箱が運び込まれた、家中段ボールだらけ。何個必要か分からないので、箱がなくなる度に連絡をいれる。箱に物を詰めても詰めても家の中の物は次々と魔法のように出てくる。荷物を詰めながらチズちゃんは考えた。本当に人間って、どれくらい物を持っていると満足するのだろうかと。
20数年前にリオのベースから直接ロサンゼルス空港に降り立った時には、荷物はフライト用の2つのスーツケースだけだった。そして20数年の間に家を買い、膨大な物で家中がいっぱいになった。人間は本当にこんなにも沢山な物が必要なのだろうか?
最近、生活する上に必要最低限な物しか持たない、ミニマリストという人達が増えてきているらしい。絶対生活に欠かせない物は数少ないのに、どうして人間は物欲の虜になって次々と物を買い集めてしまうのだろうか。
人間は買っても買っても満足することを知らない。そして家中に物が増え続けるのだ。人間の欲望はきりがない。こんな事を考えながら3日間、モクモクと荷造りをしていた。最後には、家中のものを全部捨てたくなった。そうすればどれほどスッキリすることだろと考えたりもした。
3日間、食べる時間もおしんで朝から晩まで荷造りに専念したお陰で、大体の物は片付いた。あとは箱に入らない大きなものは引越業者にお任せすることにした。箱に番号をつけて数えてみると合計180個あった。家具や大きな物は友人に譲ったし、ガレージセールであれだけ売りはらったのにまだ180個もあったのだ。
入口にあるリビングは段ボール箱で天井まで埋め尽くされた。残されたものは台所のお皿数枚と鍋、それに寝袋ぐらいしかない。ベッドもないので寝袋を床に敷いて夜は寝た。荷物を送り出してしまうまで一週間ぐらいは、この生活で辛抱しなければならなかった。
次の週に引越業者がやってきて、180個のダンボール箱とピアノを運び出した。荷物は船便でコンテナに入れられ、東京への荷物は横浜港に、宝塚への荷物は神戸港に運ばれる。チズちゃんは生まれてから何度も引越して慣れているとは言え、何度しても体力がいるので大変だ。これが最後の引越しであって欲しいと思ったが、その後6回も引越すことになった。
チズちゃんの引っ越し人生の中で、一番長く暮らしたのがロサンゼルスだ。30歳でロスの郊外グレンデールに家を買った。この家にはチズちゃんの青春の思い出が全て詰まっていた。入居前にアパートと家を毎日往復しながら家中の壁を髪の毛にペンキをつけながら塗ったこと、雨漏りがすればDIYの店に行き、コールタールとシングル材を買って隣のパピーと一緒に屋根によじ登り修理をしたこと。沢山の思い出が次々と頭の中を巡った。三毛猫タヌー
(重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。著作権法に従って無断転載を禁止します。記事を利用される方はご連絡お願いします。