164 バブル時代の家探し

タバコのことはさておき、奧村さんの第一印象は、ビジネスマンらしく背広を着てネクタイをしていた。そして、足を組んで椅子にこしかけ、おとなしい、物腰のやわらかな感じの人だった。チズちゃんにとっては特別な強い印象はなく普通に感じられた。それ以来時々、同僚と一緒にオフィスを訪ねるようになった。
その頃、奥村さんが始めようとしていた南極大陸横断国際探検隊の東京事務所の仕事をいろいろ聞いていて、チズちゃんはちょっと面白そうだと思った。というのは六か国の学者や科学者たちが集まる探検隊だからだ。フランス、中国、イギリス、ソ連(当時)、アメリカ、日本の共通語は英語だった。今働いている会社では英語の仕事は、ほとんどない、この機会を生かして英語の仕事が出来るかもしれないと思ったからだ。
勿論、今の会社を辞めないで必要なところだけを手助けするつもりだった。その話を奧村さんにすると、是非手伝って欲しいとの返事。チズちゃんは、掛け持ち仕事をすることになった。時間のある時はオフィスに行き、海外から届くファックスの連絡係となった。
その頃には、チズちゃんは国分寺のマンションに住み始めて、そろそろ2年になるので更新の時期が近づいていた。勿論、引っ越しばかりするのは大変なので更新をしようと思った。その矢先にマンションの家主から次の更新で1万2000円値上げをするという通知が突然来た。
その時点で家賃は12万円だったので、次の更新で家賃は13万2000円となる。一度に値上げをするには少し高すぎると思った。それで、家主に不動産屋を通してもう少し安くならないかと聞いてもらった。すると、すぐに電話で返事が来て「文句があるなら引っ越してくれ」との、高飛車な返事。
チズちゃんは、高飛車な態度はちょっと横暴すぎるのではとムカッとして家主に言い返したが、取りつく島もなかった。テナントとして一度も家賃支払いを遅れた事、何の問題も起こした事もない。多分チズちゃんの住んでいるマンションは駅に近いし新築だから、きっと高くしても借りる人が沢山いるに違いない。それで家主が強気に出ているのだ。
もうこんな、家主に話をしても仕方ない。それで、マンションを探す事にした。借りるより買ったほうが良いかもしれないと色々見て回った。経堂にあるマンションが売りに出ていたので、見に行って驚いた。ワンルームマンションが4千万円だという。丁度その頃、日本はバブルの終わり頃だったがまだまだ不動さんは売り手市場だった。
アメリカで4000万円も払ったら、もっと大きな物件を買うことができる。日本の不動産物件の高さにビックリした。チズちゃんはロスで長年住んでいた家をまだ持っていて、人に貸していた。200坪の平屋で2寝室、リビング、デン、食堂、台所と前と後ろに広い庭がある普通サイズの家だが、月額1300ドルで貸していた。それと比べてみると日本の物件は異常に高いのが判った。
引っ越しするマンションを探すのに一カ月ちょっとしかなかったので、休日には、あちこち探した。中央線、小田急線の東京郊外を探したが、広くて家賃の安い所はそうとう遠くに行かなくては見つからなかった。青梅の方まで行ってみたが、やはり仕事場には遠すぎて諦めた。
そうこしているうちに、借家の更新日が迫ってきた。チズちゃんは困り果てた。新しいマンションはみつからないし、どうしようかと頭を抱えていた。奥村さんに、その事を話してみた。すると、彼はそれなら次の引っ越し場所が決まるまで、とりあえず祖師谷大蔵の自分のオフィスに引っ越してくればどうかと言う。事務所には部屋が沢山あって、使ってない部屋もあるので問題ないとの事。チズちゃんは渡りに船とばかり事務所に一部屋、間借りすることにした。
家賃は、チズちゃんが勝手に5万円と決めた。荷物も最低限にして、当面使わないものは宝塚の実家に送って預かってもらうことにした。またまた引っ越しだ。日本に帰国して約2年、人生であと何度引っ越しをすることになるのだろうか。とチズちゃんは、つくづく思った。三毛猫タヌー
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