67 ロスアンゼルスでのアパート探し

ロスアンゼルス空港に到着。移民局までの長い通路を歩いて税関も無事通過、空港の外に出た。空港は沢山の旅行客で混雑している。重い荷物をカートに載せて、タクシーに乗り込む。そしてチズちゃんは運転手に「ハリウッドのルーズベルト・ホテルまで行って下さい」と伝えた。

「Ok」と運転手は言ったか言わないうちに「キミはメキシコから来たの」とチズちゃんに尋ねた。その時チズちゃんはリオでの7カ月の滞在で肌はリオの太陽で真っ黒に日焼けして、黒い長い髪、インド模様のミニスカート、どうみても日本人には見えない姿だった。やく一時間半ほどでホテルに到着。

ルーズベルト・ホテルは、メインストリート、ハリウッド・ブルバードにある。その頃、Varig航空クルーの常宿になっていた。向いにはチャイニーズシアター、歩道には大理石に星型プレートがあり、有名スターの名前が記され、ウォーク・オブ・フェームと呼ばれている。ロス観光のメッカだ。

ルーズベルト・ホテルは第一回アカデミー授賞式の会場にもなった場所。映画界にとっては縁のあるホテルでもある。一時期マリリン・モンローが売れっ子になったあと2年間、このホテルを住まいにしていたことでも知られている。映画の撮影にも何度も使われている歴史のあるホテル。

ホテルから歩いてすぐに小さな通りオレンジ・ドライブがある。その路地の2階建ての白いアパートにはVarigのクルーが多く住んでいた。通称「Varig Village」(ヴァリグ村)と呼ばれていた。何故みんな、そこに住んでいたかというとリムジンバス乗場がホテルにあり、空港直行バスが出ていたから。

ロスアンゼルスはとてつもなく街が広がっていて車がないと何処にも行けない。車は足がわりなのだ。日本のように便利な公共交通機関もない。バスがあっても時刻表などないから何時くるかもわからない。だから、まずロスアンゼルスに着いたら車を確保する必要がある。

チズちゃん達東京入社組は、ロス・ベースでずっと居られるが、リオ・ベースでロスアンゼルスへ来る乗務員達は2年毎に交代があるので、不便でも車を持たずに我慢して空港リムジンバスを使い倹約に努めていた。フライトは月にロス、成田間を3往復、フライト後は4~5日の休みがあった。

ちょうど、ロスアンゼルスに同僚のえみちゃんがロス・ベースになりVarig Villageに住んでいたので彼女の所に行き、アパートの事やまわりの事情を聞くことにした。まずはアパートさがしから始める事にする。ロスアンゼルスではアパート探しには日本のように不動産屋に行かなくても良い。

一番手っ取り早い方法は、各アパート前に看板がぶら下がっていて、それに2ベッド、2バス、家具付、家具無しとか色々書いてある。空室があるとVacancy(空室)と書いてあるからすぐ分かる。部屋を見たい時には直接そのアパートのマネージャーにかけあって見せて貰えるからとても合理的。

チズちゃんは歩ける範囲でVacancyと書いてあるアパートを見て回った。一度、空室アリと書いてあるアパートに行った時「もう、空室はない」と言われたことがあった。アメリカには人種差別は存在する。東洋人嫌いの白人マネージャーから、あからさまに空きがあるのに「無い」と嘘をつかれたのだ。

ぐるぐると近所を歩き廻り、やっとチャイニーズシアター裏にあるシングルアパートメントを135ドルで借りることにした。シングルアパートメントは日本でいうワンルームマンションである。そのアパートには大きなリビングルームと別に台所と洗面所がついていた。家具付きで電気代込だった。

アパートを借りるのに日本の様に大金はいらない。礼金、敷金はなく家賃の一か月+もう一か月分をデポジットしておくだけ。アパートを退去する際は一か月前に知らせを大家さんに送ると、引っ越し月は家賃を支払わなくて済む。だからロスに住む人達は5年に一度引越しする程、引っ越し好きだ。

チズちゃんの引っ越しは2つのスーツケースだけだから簡単。冷蔵庫、レンジ、テーブル、椅子、ベッド、電気スタンドは買う必要がないから、散財しなくて済む。スーパーに行って、お皿を数枚とフォーク、ナイフとお鍋を一つ買えばすぐに生活できる。何しろ初めて生活するのは日本より楽ちんだ。三毛猫タヌー

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