最近、たびたびブラジルが話題にのぼる。私がブラジルに住んでいた1960年代は、日本人にとってブラジルといえば、アマゾン、原住民、大蛇、コーヒー位しか知らなかった。今はサッカーをきっかけとしてブラジル料理、音楽(サンバ、ボサ・ノバ)が日本社会にも少しずつ浸透して来たことは、とても嬉しい。
私にとってブラジルは、第二の故郷だ。私の住んでいた町はブラジルの一番南にある、Rio Grande do Sul(リオ・グランデ・ド・スル)州の州都 Porto Alegre(ポルト・アレグレ)であった。ブラジルといえども、この州では冬には雪が降ったりもする。
イタリアやドイツからの移民が多く、イタリア移民は、とても美味しいワインを沢山生産しているし、ドイツ移民は靴やバッグを作って輸出している。ご存じのようにブラジルは南半球にあるので、季節は日本と正反対になる。8月が真冬で2月が真夏だ。
カーニバルが開催されるのは真夏の2月。クリスマスはサンタが汗をダラダラ流しながらやって来る。ソリの代わりにサーフィンに乗ってくるのである。ブラジルは人種のルツボと言われ、世界中の人種が混血して成り立っている。基本的にはコスモポリタン人である。日本と違い多民族移民国家なので様々な文化や言語が混じり合い興味深い。
イタリア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、中国、韓国、レバノン、ハンガリー、勿論日本も含む世界中からの移民の集まり。ブラジル人は、とても気さくで、人なつっこいので、すぐに Amigo(アミーゴ)といって仲良くなるので余り自分が外国人であることを感じないですむ。
文:吉田千津子 写真:奥村森
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