23 白内障手術日記

2024.10.9~10

大病院の女医先生が担当してくれた。
「手術中話しかけてもうなずかず、言葉で答えて」と言われた。
ならば、創造の世界に没頭しようと決めた。
手術が始まると、天井の灯りが万華鏡のように七変化する。
水辺に映し出される夕景をアウトフォーカスして、カメラで眺めているようだ。
あたかもモダンバレエの多彩な舞台を鑑賞しているようにも観える。
傷みはまったくなく、10分足らずだったが至福の時間を過ごした。
今回は右目だけ、2週間後に左目の手術をする。
また、感動的な舞台が観られると思うと胸がワクワクする。

この病院では、白内障手術を1泊2日で行う。
街医者では日帰りのところもあるので、最初のうちは「なんでだろう」と疑問に思った。
だが手術が終ると、とてつもなく面倒な点眼作業が続いた。
「だから1泊2日なのか~」納得した。
術後は2時間安静にしなければならない。
病室は6人部屋だが、そんなのヘイチャラとタカを括っていた。
隣の患者との仕切りはカーテンひとつ。
思いもよらぬ災難が待っていた。

術後安静のためベッドに横たわっていると、隣の患者の妻と思われる人物が見舞いにやってきた。
妻は家族の話を他の患者を気遣って、小声で話す。
すると夫は「声が小さくて聞こえへん、もっと大きい声で話さんかい」と大声で怒鳴る。
妻「他の人に迷惑でしょ」、夫「構わへん、俺かて患者なんやから」と意味不明なことを言う。
普段は、耳が遠く補聴器を使用する僕だが、病院という事もあり今日は外している。
そんな僕でも、喧しいぐらいに二人の会話は聞こえる。
まあ病人だから仕方ない、しかもバリバリの関西人。
妻が帰った後も、乱暴に物を放り投げているのか、「ドン、ガタガタ」と凄い音が続いた。
注意しても「すいまヘんな」とは応えるかも知れないが、本気で聞く耳は持たないだろう。
「一日のガマンガマン」と言い聞かせた。
でも、なにか嫌な予感がした。

病室で夕食をとり休むことにする。
手術した右目の麻酔が切れたのか、痛くはないが重い感じがするからだ。
床に着くと、隣の患者は大きな咳をし始め、乱暴な所作による物音が絶えない。
寝れば静かになるだろうと、じっと、その時を待った。
午後9時過ぎ消灯、やっと眠れると思いきや、隣から地響きするようないびき。
その合間に「イタタタ~、モウダメダ~」と寝言なのだろうか。
そして彼が寝返りする度に、僕のベッドが揺れる。
こうなったら朝まで待つしかない、手術した右目が寝不足で悪化しないよう祈るばかりだ。
そんな状況が夜中の2時半まで続いた。
ティシューを耳栓代わりに詰め対応したが、どうにもならない。
その時、救い主が現れた、看護師さんだ。
看護師「他の患者さんに迷惑なので静かにしてください」
患者「はい、そうですか」
看護師「いびきはともかく、独り言はやめてくださいね」
患者「はい」
妻に向かって放った言葉とは対照的に、何とも態度がしおらしい。
でも、「ごめんなさい」はなかった。
それからは、いびきも声も聞こえなくなり熟睡できた。
これが、ほんとうに夢世界の行為だったのか、甘えた気もちがそうさせたのかは定かではない。

10月10日朝8時、術後の検診があるとのこと、階上にある診察室を訪れる。
そこには担当の女医ではなく、初老の男性医師が待っていた。
「ボウギョメガネ」と告げると、箱に入ったプラスティク製のメガネを2~3個取り出し、テーブルに並べる。
聴き慣れない用語、しかも何の説明もないので、僕は理解できず戸惑うばかりだ。
医師は突然、その中のひとつのメガネを僕の目にあてがい「ゆるい」と一言、違うメガネを再びあてがった。
そこでやっとボウギョメガネの意味がわかった。
術後の眼球にごみやほこり、ばい菌が入るのを防ぐメガネのようだ。
「これ、いすも付けてなくてはいけないのですか」と尋ねると、「そういつも」と答える。
眼を検診しながら「○▽×○▽×○▽×○▽×○▽×・・・」と話す。
僕には、ムニャムニャムヤとしか聞こえない。
「はあ、すいません、もう一度説明して頂けますか」と問い直す、だが、返事はない。
そばにいた看護師が「あとで病室に説明にいきますから」と助け船を出してくれた。
口調がお笑いタレントの東野幸治さんのようで早口で句読点のない喋り。
しかもバリバリの大阪弁なので、関東から来た僕には理解不能である。
悪い人ではなさそうだが、マイペースでコミュニケーションが苦手なようだ。
部下の女医先生や看護師さんたちも、日ごろ相当苦労しているのでは。
患者も医師も、いろんな人がいるものだ。
わずか1泊の入院だったが、アート鑑賞や人間模様を垣間見ることができた。
終わりよければ全てよし、思わず微笑んでしまった。

2024.10.23~24

今回は左目手術、万華鏡のような色彩アートと術中再会できる期待感が膨らむ。
前回は6色で構成された映像だったが、今回は3色。
担当女医先生によると、白内障の重度によって色彩が増減するとか。
僕の場合は、右目が重症で6色、左目は軽症で3色。
「重症の目は白い曇りに厚みがあるので屈折する光が多彩になり、色数が増えたのでは」と根拠なき自論。
「そうか、うんうん」納得してしまった。

術後、病室に移動。
今日も1泊するのだが、同室の患者がどんな人なのか気になる。
前回は6人部屋で、隣室の患者が喧しく夜中の2時まで眠れなかったから。
今回は4人部屋に、僕を含めて3人の患者がいる。
1人は明石家さんまさんのように、話が止まらないタイプ。
もう1人は相当重病なのか、看護師さんと消え入りそうな声で話をしている。
さんまさんタイプの患者は、閉めている僕の病室のカーテンを開け、
「○○です、3泊4日しますのでよろしく」とあいさつにやって来た。
「私な、血液の癌でんね・・・」と長いながい話が続いた。
「よさそうな人だけど、この人とつき合ったら大変だ」腰が引ける僕。
こちらからの積極的なアプローチを避けていたら、それ以上のことはなかった。
2人ともマナーがよく、消灯後もぐっすり眠ることが出来た。

手術を終えた翌朝、担当女医の上司から「診察室に来て」と呼びだされた。
早口の大阪弁で話すので、言っていることが理解できず大変だった先生だ。
診察室に入ると先生一人っきり、なぜか今日はゆっくりと標準語で話すではないか。
1回目の右目検診には看護師さんが付き添っていた。
「そうか、看護師さんが患者に説明してくれるから甘えて丁寧に話さなかったのかも知れない」。
思わず先生の顔を見ながらニヤニヤしてしまった。

退院前に視力と眼圧を計るため検査室を訪ねた。
女性検査師が「すっきり、よく見えるようになったでしょ」と挨拶変わりの質問をしてきた。
「はい、顔のシワがはっきり見えてショックを受けるといろいろな人から言われました」
「そう聞いていたので、手術を終えてから看護師さんを始め病院で働く方々のお顔を眺めました」
「でも病院のみなさん、お若いのでツルツル、参考にならなかった」と世辞とジョークのつもりで言った。
すると真面目な彼女は「ご自分の手をご覧になって下さい」と。
まじまじと眺めると、自分が想像していなかった手がそこにあった。
こんなにはっきり見えたのは40代半ばの頃。
「歳のわりには、シワもシミもない」という身近な人の言葉を信じていた。
正直、ショック。
自分の容姿イメージが、その時からフリーズしたままだった。
赤みを帯びた艶のない皮膚は、自分のものとは思えない。
「そう79歳、オマエ自覚しろよ。でもね、君の手は苦労を乗り越え一生懸命働いてきたんだよ。偉い、えらい」
僕は心のなかで、自分を優しく労わった。

僕は白内障だけでなく、緑内障も20年ほど前から患っている。
これまで診察した複数の眼科医からは、重い症状と診断されてきた。
しかし、今回の女医先生は軽い症状だと言う。
「白内障が治っても、視野の障害は残るかもしれないから」とも付け加えられた。
更に僕の目には乱視の症状もあり、それが原因なのかいつも涙目で視界が歪んで見えた。
だが白内障手術を終えて嬉しいことに、これらの症状がすべてなくなった。
この女医先生にたどりつくまで10人以上の眼科医を渡り歩いた。
よい先生に出会うのは至難の業だ。
心から感謝している。

これから白内障手術を受けようとされている方へのメッセージ
怖くも痛くもない。
しいていえば手術前から術後までの点滴がチクりとする。
手術中は映像を観劇して楽しむ。
術後の点眼は一日4回約一カ月しなくてはならない、面倒。
術後は一週間顔を洗えないのでウエットティッシュを使う。
術後一カ月間は防塵メガネを使用。
大切なのは自分の医療価値観にあった医師を探し、円滑なコミュニケーションをもつこと、手術は医師と患者の共同作業。
40代から白内障になる人もいる、早めにすると人生得する、実感。
お読みいただき、ありがとうございました。

文と写真:奧村森
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