
先月、ロサンゼルスを訪ねた、これで3度目である。
いつもならChizuは一人で行くのだが、コロナ禍の3年の間にChizuの運転免許が失効してしまった。
それで仕方なく、僕がアッシー君として車の運転を引き受けることにした。
空港近くのレンタカー屋で小型車『ヤリス』を借りた。
1週間のレンタル料は、保険料すべて含めて680ドルだった。
だいぶ使い古した感のある車。ボディーには、あちらこちらに傷があった。
早速、405フリーウエイ(高速道路)でアメリカの洗礼を受けた。
これまで日本とヨーロッパで高速道路を走行した経験はあるが、アメリカでは初めての運転だった。
なにしろアメリカのフリーウエイの道幅は広く、レーンが最低で6車線、多い所では8車線あった。
おまけにスピードたるや、平均60マイル(96キロ)と表示されているが実際速度は70マイル(112キロ)でビュンビュン飛ばしている。
現在、78歳となった僕は目も耳も弱り、とてもこのスピードにはついて行けない。

フリーウエイの運転に全神経集中するが怖くてこわくて喉はカラカラ、肩に力が入るのでカチカチに凝っている。
隣に座るChizuにも、その緊張感が伝染「もっとスピード上げて、レーンを左に移動して、車線の真ん中走って」と大声で命令する。
だが、今の僕には穏やかに聞いている余裕はない。「黙れ、やかましい。運転中は必要なことだけ話せ」と怒鳴り返した。
少しでもハンドル操作を誤れば、二人の命はなくなるのだ。
日本の高速のインターチェンジは、ほとんどが低速車線側に設置されている。
だが、何車線もレーンがあるフリーウエイでは、最高速車線から4列目を走らないとインターチェンジで目的方向に進めない場合もある。
なのでレーンの速やかな移動は必須だが、平均速度が60マイル(96キロ)だから、40マイル(64キロ)で走る僕には車線変更は出来ない。後方から来る車に「遅いぞ」とクラクションを鳴らされる始末。
更に道もわからない、Chizuが方向表示を指さして指示するが、アルファベットを読んでいると運転が疎かになってしまう。
Chizuは「方向表示なんか読まないで、私が指さす方に向かえばよい」というが、「こっち、あっち」と言われてもパニックっているので敏速な判断は出来なかった。
こんな恐ろしい気もちで運転した経験は、これまでにない。
♯シグ西尾のこと
今回3年ぶりのロサンゼルス旅行でどうしても会っておきたい人がいた。Chizuのアメリカの友人もほとんど高齢で亡くなってしまった。そのため会う機会があれば、会っておきたいと思ったからだ。40年来の日系アメリカ人の友人シグ西尾だ。旅行をする前に彼の息子のジョーンの妻からの手紙で、まだ一人でパサディナの家に住み続けているという。タヌー
3年前に妻のエスターはすでに亡くなっている。最後に会った時は98歳か99歳だと言っていたので、すでに100歳以上になっているはずだ。息子たちが同居を申し出ても首を立てにふらず、日中はヘルパーの助けをかり相変わらず一人で暮らしているらしい。夜は息子や孫が夕食を持って来たり、息子の家に夕食を食べに行っているとのこと。タヌー
ロサンゼルス到着した翌日、彼の家に行ってみたが人が住んでいる気配がない。とうとう息子の家に同居したのかと思いながら、帰った。ジョーンの家にもう一度電話をすると妻のスーザンがやっと電話に出た。聞いてみるとシグはまだパサディナの家に一人で頑張っているらしい。タヌー
ロサンゼルスの滞在の最終日、もう一度シグの家に大好きな「どら焼き」を持って出かけた。呼び鈴を2度ほどならすとシグがのっそりとドアを開けた。いつもの笑顔で迎えてくれた。話を聞いてみると今年で102歳になったとか、認知症もないし耳も遠くない。タヌー
シグは、この5月の誕生日で103歳となる。今でも朝食と昼食は自分で作って食べていると言ったが、ゴミ箱の中には真っ黒に焦げたトーストが捨ててあった。今は友人達も亡くなってしまい、訪ねてくる友人も居なくなったと寂しがっていた。一時間半ほど楽しく昔話をして再会を約束して別れた。シグはまだまだ長生きしそうだ。タヌー
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文:吉田千津子&奥村森 写真:奧村森