数カ月前のこと、Chizu(吉田千津子)は、宝塚市で国際交流を目的に活動している団体から「日本語がまったく話せないブラジル人がいるので通訳して欲しい」と頼まれた。
昔、父親の仕事でブラジルに暮らしていたことがあり、ブラジルの友人たちからいろいろと世話になったので、なにか恩返しできればとボランティアでポルトガル語通訳を引き受けることにした。
そのブラジル人の名は、マリア(仮名)という。彼女は、先に出稼ぎ労働者として来日していた夫のもとへ20数年前にやって来た。
マリアの夫は、ブラジル日系人の請負業者に仕事を紹介してもらっていた。マリアが長期間日本に在住していながら、これほどまでに日本語が出来ないのは言葉を夫に頼っていたからだ。そして、この請負業に仕事をはじめとする生活のすべてを頼っていたことも理由の一つだった。
2026年3月、闘病を続けていたマリアの夫が亡くなった。その時、僅かながらあった貯金は、すべて入院費で消えてしまった。
死を悲しんでいる暇もなく、夫名義の市民税、介護保険、健康保険などの請求書が次々と送られ、山積となっていた。
マリアは、どうしてよいのかわからない。一緒に暮している日本語が話せる息子を連れて、市役所へ行った。だが、それには大きな問題があった。
息子はポルトガル語がほとんど理解できない。つまりは、マリアと息子との込み入った会話が成り立たない。更にマリアの息子は知的障害があるので、複雑な手続きをこなすのは無理だった。
言葉の壁で積もり積もったストレスをマリアは、Chizuに爆発させた。
「夫は20数年間も日本でまじめに働き続けてきたのよ。税金、介護保険料、健康保険料、みんな日本人と同じように払ってきたの、なのに夫が死んだら遺族年金も貰らえない。こんな酷いことってある。日本が嫌いになったわ」マリアの怒りはとまらない。
マリア夫妻は、来日してから請負業者の手配で日本各地を転々とした。同じ職場で働く日本人に比べると、給料は安くボーナスもなかった。
仕方なく昼夜労働を夫婦で強いられた。娘や息子との対話時間は、まったくなかった。あげくの果てには、親子が言語を共有する機会を失ってしまった。
世間で話題になっている移民問題、マリアの夫は日系三世、祖父は沖縄出身だ。なので、日本への郷愁は強かったと思う。日本のために働いた夫の気もちを察すると、マリアからすれば、日本がとった行為は裏切りであり差別と感じても不思議ではない。
こんな不満と怒りの中でも、マリアは律儀に払うべき義務を全うしようと努めるのだった。
辛さに耐えかねて、益々ネガティブな心境に陥るマリアの気もちを和らげようと、Chizuは努めた。
興奮のあまり、話があちらこちらに脱線する。話が飛ぶのはラテン人の特徴ではあるが、行き詰まっているから拍車がかかり大声でがなり立て、とどまる気配もない。
それでも言いたいことをすべて吐き出すと気もちが落ち着いたのか、Chizuの話を静かに聞いて、質問にも答えるようになった。
夫の負債相続をなくすにはどうしたらよいか、Chizuと面倒をみていた団体職員は検討を始めた。
請求書が届いている市民税や介護保険料などはマリアに払う能力がない場合、免除や減免措置を受けられる制度がある。
減免は請求発行窓口で正直に実状を説明すれば、認可される可能性は高い。しかし、マリアの収入では、それすら払うのは難しい。
免除の方がマリアにはよいのだが、それには幾つかの条件を満たさなければならない。ブラジル帰国を前提にして家庭裁判所から相続放棄の承認を受ける必要がある。
だが、ここでもうひとつ乗り越えなければならない難題が立ちふさがる。マリアが相続放棄証明書を貰うことが出来たとしても、日本語しかできないマリアの娘と息子は日本に住み続けなければならない。そうなると二人の相続放棄手続きも済ませないと、負債が子供たちに及んでしまう。言葉の壁で会話が成り立たない親子なので、子供たちに理解を求めるには相当な時間を要するに違いない。益々負債が膨らむ恐れがある。
マリアは「負債を払い終えたら、一刻も早く母国ブラジルに戻りたい」という。
猛暑の日、マリアが請負業者から借りているアパートを訪ねた。室内は蒸し風呂のようで、カーテンも家具もない。
Chizuは「クーラーは動かないの」と尋ねた。マリアは「クーラーはあるけど、電気代がかかるから使わないの」と言う。
Chizuは2~3分いただけでも、汗びっしょりで目まいがした。長くいたら熱中症になりそうだと危機感を募らせた。
市役所と家庭裁判所を訪ね、詳しいことを調べた。その結果、減免はした方がよいが免除手続きは手間と時間が掛かり過ぎるので諦めることにした。
こうなると方法は一つしかない。私たちが募金をして、負債額と旅費を捻出し早期解決するしかない。
もし返済期間が長引くと負債額が増え、アパート代も更に必要となる。マリアの稼ぎでは到底追いつかない。
募金をどのように募るか検討した。クラウドファンディングすることも考えたが、難しいと判断した。目的がマリア個人のためで公的なものではないからだ。そうなると、我々が募金と負債支払いを責任をもってやるしかない。Xにマリアの事情を掲載して協力を求めるのが唯一の方法である。
集まった募金と支出の詳細を正確に伝えることが重要だ。募金は、奥村勝之名義(奥村森の本名)の口座に振り込んでもらい、どんなことがあっても責任が取れるようにすることにした。