1968年 父と私が訪ねた道明寺

六条照瑞御前様との出会い

         奥村森撮影1968 奥村土牛作品『照瑞尼』 1968

1968年(昭和42年)、僕は父と梅満開の道明寺を訪ねた。父は六条照瑞(ろくじょうしょうずい)御前様のスケッチを、僕は写真を撮らせて頂いた。あれから長い歳月が流れ、父は他界した。御前様は、お元気でいらっしゃるだろうか、無性にお会いしたくなり、失礼を顧みず手紙を出させて頂いた。暫くして、美しい毛筆の書簡が届いた。再会して下さるという。

道明寺縁起

道明寺は聖徳太子の発願で建立された。尼僧寺院を建てるに当たり、仏教導入に積極的だった土師(はじ)氏が寄進、東西320メートル、南北640メートルの広大な境内に、五重塔・金堂・七堂・伽藍などを完成させた。これが道明寺前身の土師寺である。その後、数多くの仏像、経典美術工芸品、薬品等を宝蔵した。

901年(延喜元年)、大宰府に左遷される菅原道真が、この寺にいた叔母の覚寿尼公を訪ね、次の一首を詠んで別れを惜しんだと伝えられる。「啼けばこそ別れもうけれ鶏の音の鳴からむ里の暁もかな」。この故事は、後に人形浄瑠璃や歌舞伎の「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)東天紅の段、道明寺の場」に描かれている。菅原道真が亡くなった後、寺名は道明寺と改められた。これは菅原道真の号である「道明」に由来している。

戦国時代、兵乱で道明寺は消失したが、これを惜しむ織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍家などの庇護により復興された。明治5年に神道と仏教、神と仏、神社と寺院をはっきり区別する神仏分離発令によって、道明寺は現在の天満宮境内から移された。その後、本堂落成、多宝塔を加えて現在に至っている。手入れの行き届いた庭園が訪問者を楽しませる。建立から1300年間、法燈絶えない尼寺として尊ばれているのである。

       道明寺 山門枝垂れ桜 道明寺提供 十一面観音菩薩立像

六条照瑞御前様

道明寺では、代々華族の息女が住職になるのが慣わしであった。御前様が得度されたのは十八歳の春、その様子は、故片岡鉄平氏の小説「尼寺の記」に名文で綴られている。「たぐいまれな美貌に生まれながら、何ゆえ黒髪を断たねばらなかったのか」と惜しむ下りが読者の心をうつ。

御前様は、京都御所の近くにある勧修寺(かじゅうじ)伯爵家に生まれ、大叔母様が先代の住職であったことから、植物学者の父上が道明寺の興隆に尽力された。その父上も御前様が十五歳の時に他界され、母上も四歳の時に亡くなられていたので仏縁の深きを感じて、女学校を卒業されると間もなく得度されたのだという。

たった一人の兄も終戦の年にビルマの戦いで病死され、天涯孤独の身の上となられた。現在、御前様は尼僧として最高位の大僧正の位にある。歌は故山脇充史氏に学び、氏亡き後は御前様(師僧である照傳和上)について勉強された。茶道は官休庵流、華道は小笠原流の腕前である。御前様は九十歳を越える高齢になられたが、心身ともに若々しく、料理や掃除はご自分でされている。

ここに御前様の人柄が感じられるエピソードがある。ある日、訪問客が御朱印を貰おうと道明寺を訪ねた。暫くして素晴らしい筆跡で書かれた御朱印帳を受け取った。御前様が直々に書かれたのを知って、面識もない参拝者にまで心配りされる御前様に敬意を表したという。

和菓子原料の糒づくり

道明寺では、もち米を備蓄食料とする糒づくりで知られる。古くは尼僧たちが、畳をあけ、蒸したもち米を家の中で十日ほど乾燥、再び五月の陽射しで十日ほど天日干しして、それを石うすで粗挽きして保存していた。昔、米は配給以外手に入らない貴重品だった。こうした厳しい環境ながらも、寺には保有米として一石を預かる権利があった。

菅原道真が大宰府に遠流となり、蟄居の身を心配された覚寿尼公が、御本尊様に御膳と共に菅公のために糒をお供えされた。その御膳の御下がりを病に伏した人が頂いたところ、不思議なことに病気が治り元気になったという言い伝えがある。その評判を聞いた多くの人々が、御下がりを求めて寺にやって来た。この願いを叶えるべく、道明寺では一旦お供えしたご飯をもう一度乾燥して保存するようになった。これが「糒」の始まりである。

                 道明寺糒

こうした経緯から糒を「道明寺粉」、糒を原料として作った菓子や料理などに「道明寺」という銘が付けられるようになったのである。糒は明治時代にパリ万博に出展されメダルを獲得、保存食として高い評価を受けた。食べ方は至って簡単、糒に水や湯を注ぎ、季節によってカボチャやジャガイモを加えて食べる。

再会

           六條照瑞御前様 2013 梅と山門

地上300メートル、日本一の超高層ビルで話題になった大阪阿倍野ハルカスがそびえる近鉄線・阿部野橋駅から準急河内長野行きに17分ほど乗ると道明寺駅に到着する。昔ながらの風情を残す商店街を通り抜けると天満宮がある。直ぐその先に寄り添うようにひっそりと佇むのが道明寺だ。

山門をくぐると御前様のお弟子さんに迎えて頂き、客殿に案内された。座敷の床の間には、以前訪れた折に目にした懐かしい雛人形が飾られていた。この雛人形は、江戸末期に作られ、御前様の大叔母様が道明寺に入寺の際に持参してこられたものだという。

御前様は「お久しぶりでございます」と仰って深々と挨拶された。初めてお会いした折も華やかな美しさに感銘を受けたが、今は更に心がひかれる。内面からあふれ出る美しさ、優雅さが伝わってくる。

お弟子さんが手づくりの白い餅菓子と抹茶を運んでくださった。椿の葉と渋い色合いの皿が糒を引き立てる。まるで芸術作品を眺めているような気もちになる。それを頂戴しながら御前様と懐かしく語り合った。

              枝垂れ梅 道明寺提供

御前様は「現在のお年寄りは、元気なのに仕事がなくて気の毒ですなあ、私には毎日することがあり有難いことでございます」と気づかわれる。この言葉には、もっともっと高齢者に己の道を歩んで欲しいとの願いが込められているように思えた。

              御前様が創られた石文字

道明寺ホームページ Doumyoji Temple Homepage
http://www.domyoji.jp/

文と写真:奥村森 2017.03.22

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「1968年 父と私が訪ねた道明寺」への2件のフィードバック

  1. 始めまして
    『御前様』令和4年3月25日にご逝去されました。今日6日お葬式が執り行われ、沢山の方々とお見送りすることが出来ました。
     毎年お彼岸法要でお会いすることを楽しみにしておりましたが、コロナの影響で2020年からお会いすることが叶いませんでした。皆様に優しくお声がけ頂きましたがもうお話することも出来ません。  合掌

    1. 松尾惠司様
      ご返事遅れ申し訳ありません。
      『御前様』ご逝去のお知らせありがとうございます。
      折をみて、道明寺に伺います。 合掌

      奥村森

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