牛の歩みGROUP
Office Okumura

 牛の歩みGROUPは、どんなに険しい道でもコツコツと歩む集団でありたいと思い命名しました。奥村土牛著『牛のあゆみ』に記された雅号に秘められた願い、そして杉並区松庵にある農家の窪田家もまた、牛に助けられて耕作に励んできました。その名は、これ等ふたつの想いにあやかったものです。

 オフイスオクムラは、雑誌やブログなどに著作原稿と写真作品を発表、いろいろな取材やスタジオで撮影した写真をフォトライブラリーで公開しています。牛の歩み資料美術館の奥村土牛資料室では、取材や調査をもとに土牛研究資料の充実に努めています。

 牛の歩みGROUPは、オフイスオクムラ、牛の歩み資料美術館、養鶏、蒼、松庵舎と関わって下さった方々が理念を共にして来た発展形として、今後の活動を一にするグループです。ホームページを通して、私たちは裏付けされた真実と考えを発信していきます。皆様のご意見や情報などお寄せ下さい。

 フォトライブラリー Photo Library

 旅で出会ったいろいろな被写体、スタジオでライティングを施した物撮り、新聞、雑誌、広告、ポスターなどに利用できる本格的フォトライブラリーです。容量も大きく品質を大切にしています。内容は、海外(現段階で12カ国)、国内(全国都道府県)、カテゴリー(ビジネス、料理、楽器、鉄道、日用品、フォルム、工芸、編み物、猫と犬、植物と花、空、昆虫、ガラス器、産業製品など)に分類、テーマごとに文化意識を大切にしながら丁寧に撮影をしました。雑誌やインターネットに掲載する組写真としてのご利用も可能です。また、通常のライブラリーでは見られない白黒や古い写真もフィルムからデジタル化して公開しています。

 奥村土牛資料室 Togyu Okumura Reference room

 日本画家・奥村土牛に関わる資料と写真を保存作成しています。クリックすると現在までに整理した資料と写真をご覧頂けます。明治22年(1889年)、東京の京橋鞘町(さやまち)に生まれ、101歳で生涯を閉じるまで現役画家として精進し続けた土牛、「人となり」を現す遺品、書簡、写真の数々を出発点として調査研究と取材を重ね、真の土牛像と作品意図をしっかりとした根拠で証明したいと思っています。

 ポルトガルの窓から日本がみえる Travelogue in Portugal

ポルトガルの窓から日本が見える

1994年、筆者の吉田千津子、カメラマンの奥村森、コピーライターの春子、3人でポルトガル42日間の旅をしました。この旅から長い歳月が流れました。その間、欧州連合統一や貨幣がエスクードからユーロになり、ポルトガルに大きな変化が起きました。あの頃のポルトガルは、経済的には貧しかったかもしれないけれど、人々の心の温かさ、寛容さ、今日本で失われてしまったものが沢山残っていました。同行した春子の事を、当時は自分勝手な人だと思っていましたが、今世間を見渡すと同じような性格の人々が山ほどいます。春子は、その走りだったのかも知れません。
 私が長い海外生活から帰国した時、ハイテクだらけの東京に違和感を抱きました。「日本はおかしい」と話しても、カメラマンの奥村さんですら、「郷に入っては郷に従え」と私を諭しました。この旅で出会ったポルトガルの人々は今、この社会変化にどう向き合って暮しているのでしょうか。昔のままなのでしょうか。是非、もう一度ポルトガルを訪れ、彼らに再会したいと思っています。もし、彼らが昔のままだったら、今度こそ大声をだして「ポルトガルを見習うべきだ」と叫びたい。「ポルトガルの窓から日本が見える」は、リスボアからポルトガルを半周した旅の紀行文です。

フランス旅行顛末記

 パリの地下鉄Gaite 駅に着いた時、事件は発生した。私たち2人で階段を上り出口へ向うと、そこに4人の地下鉄女検札官が勢ぞろいしていた。「切符、切符、切符を見せて」と大声で乗客に叫んでいる。パリの地下鉄は入場する時は機械にガチャッと切符を入れるが、出る時は日本のように切符は要らない。鉄製の観音開きの扉をバタッと開けるだけだ。そのためポケットに使用済み切符がたまる。今日で地下鉄に乗るのも最後ということもあり、何時もは捨てない切符をプラットホームにあるゴミ箱に捨ててしまったから、サア大変。2人とも切符を持っていない。女検札官が出口で検札をしている。パリではタダ乗りする人が沢山いるので、このようにして抜き打ちで調べているようだ。私達は切符を捨てたことを正直に言えば許してもらえると思ったが、その考えは甘かった。

当カテゴリー以外にも、いろいろな記事を掲載します。

 宝塚からの宅急便 Essay from Takarazuka

南大沢日記 & 宝塚からの宅急便

 私と相棒は毎週一回、スポーツセンターの体操クラスに通っている。約1時間半のクラスでは毎回違ったスポーツ競技をする。先日は、カーリングならぬカローリングという競技をした。カーリングの室内版でカーリングと同じような柄の付いた色とりどりのローラーを床にすべらせ、先にある的をめがけて入れるのである。でも、氷の上のカーリングで見るような箒でローラーの前をシャカシャカと忙しくはく必要はない。簡単そうに見えても中々難しい。このクラスは60歳以上との制限はあるが、その他は何もない。40人余りが毎週集まるが、何故か女性ばかりで唯一、黒一点が私の相棒である。そのせいで、おばさん化しているおじさんは、増々おばさん化に拍車がかかる。何しろ関西のおばちゃん達はエネルギーが有り余っている。先生が競技のルールを説明していても、お構いなしにワイワイ、ガヤガヤと話をしている。2人の先生は勿論私達より若いので、どうしても遠慮がちに「聞いていますか!!」とやさしく言うだけなので、ぜんぜん効果がない。

暮らしの話題や出来事を記します。

 関西春秋 Kansaishunjyu

 世界の歴史、文化、人生を題材にした人間ドキュメンタリーです。パリ、フランス回想 奥村森「青春彷徨記」1968-74からの抜粋記事を紹介します。

 初めてフランスを訪れたのは1968年10月であった。パリ・オルリー空港からリムジンバスで市内のアンバリッド・エアターミナルに到着すると、物々しい厳戒態勢が敷かれていた。この年の5月、花のパリはゼネストで都市機能が麻痺、ゴミの山と化した街中で左翼学生と警官が激しい衝突を繰り返していた。これまでの革命は武器や暴力で政府に対抗するのが常であったが、市民がゼネストで抵抗するというネガティブ革命の始まりでもあった。第2次大戦後、喪失したフランスの栄光回復に尽力してきたド・ゴール大統領も就任9年目にして政治的危機に立たされていた。69年には10年続いた長期政権も終焉を迎え、翌70年にはド・ゴールも80歳の生涯に幕を閉じた。秋冬のパリは厚い雲が覆い、市民の気もちに暗雲が立ちこめる。英雄の死は、それをより一層重苦しいものにしていた。強い大統領を失い、守る者も攻める者も頼る柱と標的をなくして迷走状態に陥っていた。

 写真作品 Photographic works

 1974-2007年までの奥村森と澤田末吉の写真作品を展示しています。

 奥村森の仕事 Shin Okumura Work History

 新聞や雑誌などに載った記事と写真を掲載しています。

 カルチャー講座 メッセージ Lecture course Message

 「写真教室」基礎技術、ライティング技術、創作写真、画像処理技術、暗室技術、写真好評、写真探歩、「ぶらり取材体験」、「美を楽しむ」、講座カリキュラムと講師としての思いを記しています。

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