昨夜、私たちが泊まったペンション1階のカフェで出会ったポルトガル漁師から漁船に乗せてもらう約束をしたのだが、あいにくシケとなり予定を変更、今夜9時にカフェで待ち合わせて漁港見学に連れて行ってもらうことになった。魚の水揚げの様子を撮影できるかも知れない。
このペンションの名は「クリスタル」、とても綺麗な名称だがトイレは水びだし、部屋は日本のビジネスホテルよりもまだ狭く、椅子もおいてないので足の踏み場もなく荷物をベットの上に乗せる始末、あ~あ。
そのためか春子は部屋に居つかず、カフェで作家よろしくなにやら書き物をしている。奥村さんは壊されてしまったフラッシュを「完全修理できそうだ」と喜んでいる。
今日は、夜の約束の時間までペニッシュからカルダス・ダ・ライーニャへと向かう。
カルダス・ダ・ライ―ニャにはプラッサ・デ・リカブリカという大きな広場があり、早朝から青空市場が開かれている。 農家のおばちゃんやおじちゃんが、近くの村々から自前の農作物をもってやってくる。赤や緑のでっかいピーマン、日本では見たこともないピンク色をした長が~い豆など。市場は、野菜、果物、チーズ、ソーセージ、パンでいっぱい。
ここでもおばちゃんは元気印、何処に行ってもポルトガルでは女の人が男勝りの働きを見せる。リスボアの市場では魚河岸で75年も働いているおばちゃんに出会ったが、ここでもそういう人が沢山、ポルトガル女性の日常の姿なのだろう。
今夜は夕食をとる暇がないと思い、直径30センチもあるパンを120エスクード、チーズ4分の1を270エスクードで買う。買い物を終えて駐車場に戻る途中、筒形をした緑色のトンガリ屋根でヨーロッパの街角でよく見かける広告塔のようなものに出くわす。
よ~く見ると、ドアにはオクパード(使用中)とリーブレ(空き)の文字を発見。なんと公衆便所なのだ。ポルトガルに来て初めて見る公衆便所、私たち3人は異常な好奇心。そこで奥村さんがトイレ内部の写真を撮ろうとドアを開けようとするが開かない。このトイレは硬貨を入れないと開かない仕組になっているのだ。早速硬貨を入れてみる。勿論みごとにドアは開いたが3秒程で自動的にドアは閉まってしまった。
そこで誰かが体験使用してみようという事になったが、もしドアが開かなくなったらと、みなビビッている。すでにリスボアで雪隠詰めになった経験のある不肖・私めが体験使用することとあいなった。中に入るとユニットバスのトイレ版といったところか、真っ白でとても清潔、日本の公衆便所特有のアンモニアの臭いもない。
仕様説明をよく読んでみると、使用後ドアが閉まった時点から15秒で室内全部から水が流れて洗浄すると書いてある。どうりでピカピカなわけだ。でも、立ち上がって15秒経つとトイレの自動ドアも開くしくみ、用足し途中で立ち上がる人は居ないと思うが何とも不安なトイレだ。日本も清潔で臭いのない公衆便所という点では機能もマナーも見習うべきだ。
ところで、カルダス・ダ・ライーニャは、日本語に訳すと「女王様の温泉」となる。この町はヨーロッパでも一番古いオスピタル・テルマル(温泉病院)があることで知られている。日本では余り知られていないが、ポルトガルには日本人が大好きな温泉が沢山ある。
病院は町の中心街にある大きな公園内にあり、町を一望できる高台にあった。玄関を入ると突然大広間になっていてプーンとイオウの臭いが鼻をつく。ローブを着た男女、子供、老人で大賑わい、特に年配の女性が多い。温泉病院では、気管支疾患治療の部屋、女王様の部屋、レセプションなどを撮影、その後ドクターにもインタビュー。
1485年レオノール女王の命により作られ、病院と温泉が合体した画期的な施設と、より目のドクターは誇らしげだ。ここの鉱泉はリュウマチ、呼吸器疾患に特に効用があるとのことだ。そして、日本の鉱泉専門医も研究のために、しばしば訪れているそうだ。
20分程のインタビューをしたが専門的な話が多く、私と奥村さん、勿論春子も目を白黒、ドクターは私たちが渡した3枚の名刺を横にきれいに並べて、本当にこの人たちは理解しているのだろうかという顔つきで、より目を一生懸命広げて私たちの表情を見回していた。
ここは医学的根拠に基づいた真面目な温泉、日本人が歓楽街気分で訪れるとガッカリするだろう、現に温泉好きの奥村さんですら、入ってみたいとは言い出さなかった。
夜、約束通りペニッシュのペンションに戻る。せっかく青空市でパンやチーズを経費節約のために買ったのだが、余りの寒さに我慢できず、カフェの暖かそうなスープ、ミルクコーヒー、パステス・デ・カマロン(ポルトガル風揚げ餃子)の誘惑に負けて食べてしまう。
約束の時間は9時だったが漁師は現れない。少々過ぎた頃ヴァージニアという漁師の母親がやって来た。彼女の話では、この2~3日シケが続き荷おろしがないので撮影は中止との知らせ。奥村さんは残念がることしきり、春子は盛り沢山のスケジュールのせいで疲労困憊。再び、私たち3人はオビドスを抜けてカルダス・ダ・ライーニャに引き返す。時刻はすでに夜10時になっていた。
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