昨日、ジョルジ・オゾリオと10時に約束したが、気がついたら今日は日曜日。ポルトガル人は休日には働かないので、ちょっと心配になる。そんな心配をよそにジョルジは約束どおりやって来た。彼の案内でムゼウ・デ・ラメゴ(ラメゴ美術館)を訪れる。美術館の一室には2メートルもの高さのある一対の薩摩焼きの花瓶があった。
ひとつは15世紀から16世紀の日本の戦場画で、家紋の入った戦闘旗を揚げた武士が入り乱れて戦っている様子を描いたものであった。もうひとつは「キオト」と書かれているが、絵柄や色が中国風に見える。日本を題材にはしているが、私たちからは奇妙に見える逸品だ。その部屋には、椿のアズレージョもあった。余りにも私たちが椿のアズレージョに興奮するのを見たジョルジは、もっと沢山ある場所へ案内すると言い出した。
ジョルジの運転で、ラメゴから車で30分ほどのサン・ジョアン・デ・タロウカに行く。この町は、キリスト教シトー派によってポルトガルで最初に建造された修道院がある。日曜日だというのに雨が降っていることもあってか、人っ子ひとりいない。修道院の中に入ると、美術館で見たのと同じようなアズレージョが4千7百余枚も壁いっぱいに貼りめぐらされているのには驚く。花と動物をデザインしたものが多い。
隣室には、高さ2メートル、重さ1トン、花崗岩を素材にしたイエスを抱くマリア像が飾られている。他のマリア像と違い、いかにもポルトガル風でふくよかだ。チャペルの家具は、その昔ブラジルから運ばれたパオ・ブラジル(ブラジルの木)を材料にして作られている。ポルトガルでは、かつての栄光の産物という意味なのだろうか、パオ・ブラジルをマデイラ・ノブレ(高貴な木)と呼んでいる。
その家具の中には珍品もある。何に使うのか、ついたての形をした10メートルもあるマデイラ・ノブレが一列に立てられている。「これは立って座れる椅子ですよ、ちょうど腰の高さにある半月形のベロをパタンと倒すと補助椅子になるんです。長いミサで僧侶が疲れないための知恵、ミサは厳粛な雰囲気を保ちながらも椅子に座ることも出来るんです」とジョルジは柄になく悪戯っぽく話す。
長いローブを着ると、それこそカモフラージュされて立っているとしか見えないであろう。いかにも、ラテン人らしい発想、名づけて「横着椅子」。ベロをパタンとたたむとエンゼルの顔が見える、ユーモアたっぷり、皆で大笑いする。
もう一つの傑作は、2階に取り付けてあるパイプオルガンだ。オルガンを弾くと、すぐ側にある木製のキリスト像が音楽に合わせて手を広げ、口を動かすカラクリの仕掛けになっている。シトー派はお堅い人達ばかりだと思っていたがユーモアに富み、なかなかのアイディア集団であったとみえる。
修道院案内人の男は、足が不自由で両杖をついている。彼は信じられない早さでまくしたて、いつまでたっても話が止まらない。閉口。帰途、ワイン工場に立ち寄る。日曜日で休みなのではないかと思ったが、あにはからんや工場は開いていた。当然である、今日がブドウ収穫最後の日、ワイン工場の仕事で一番大切な日だったのだ。
工場の側には広大なブドウ畑が拡がり、地下には花崗岩を利用したワイン蔵が造られている。気温は常に12度、湿度は100ペーセント以上に保たれている。ワイン蔵はヒンヤリとして、時おり天井から水滴がポトポトと落ちてくる。赤・白・ロゼのワイン、シャンペンあり。
「各ワインは樫か栗の木の樽で寝かせ、1年の生産高は35万本、常時300万本は有りますよ」と工場長は自慢気に語る。モンターニャ地方のラメゴは小さな町だが、発泡性ワインでは全国的に有名、そして何よりジョルジに象徴される誠実で真面目な気質はこの町の宝である。観光局のジョルジは休日にもかかわらず、私たちのために一生懸命に案内してくれた。「ジョルジありがとう」
だが、2晩連続の彼の接待で、ついに奥村さんはダウン、丈夫なはずの私までワインと食べすぎで体調を崩してしまった。明日は100キロ先のスペイン国境に近い町、シャーベスに撮影のために向かわなければならない。どうしよう。
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