連日の強行スケジュールで、普段でも細身の奥村さんが一層痩せ始めた。ここ2~3日、スープとサラダしか食べずに400キロ以上ドライブし続けて来たのだから。奥村さんの体調を象徴するかのように、景色も南下するに従って緑の牧草は消え、荒涼とした岩と灰色の平原が地平線の彼方まで続く。
その荒野には、オリーブの木と皮を剥ぎ取られて赤茶けたコルクの木が雑然と植えられている。木々の合間には牛や馬の群れが三々五々たむろし、羊は首に付けた鈴を「カランコロン」と鳴らしている。この春に生まれたばかりの子羊は、母羊に寄り添うようにして歩く。
予定では、あと2日でリスボアだ。到着したら宇宙人の春子は仕事の都合で帰国するのだという。彼女には悪いが、私は付き合うのに疲れはてた。写真を撮りながら、午後2時頃エストレモスに到着。今日の走行距離は200キロ。私たちにとってギマランイスに続いて2度目のポウザーダ泊まり、興味津々。
「ポウザーダ・サンタ・イザベル」は要塞として造られた立派な建物だ。かつて、ここにデニス王とイザベル王妃が住んでいて、慈悲深い王妃は民衆からとても崇拝されていた。アレンテージョ地方は土地も痩せていて、人々の生活は貧しく苦しかった。王妃はデニス王の反対にもかかわらず、民を思い親身になって援助をしたという。
また、ヴァスコ・ダ・ガマは15世紀にインド諸島航海の際、この要塞でマヌエル王より国王の旗印を与えられたとのことだ。この建物は歴史的に由緒があり、1970年にポウザーダとして改装され現在に至っている。
私の部屋は28号室で廊下の奥の角部屋、ポウザーダ前にあるイザベル王妃の像が窓から良く見渡せる。ベッドは17世紀の赤いビロード屋根のついたアンティーク・キャノピーベッド、このタイプの家具はインド・ポルトゲーザと呼ばれている。独特な「ねじりかりんとうの形」のデザインはインドとポルトガル感覚をミックスして出来た賜物だ。このアンティークベッドは高さが腰のあたりまであるので、よじ登らなければならない。
部屋は古い素材を活かすためか、木枠窓は歪んで閉まりも悪い。その夜、運悪く暴風雨に見舞われた。窓の隙間から風がビュンビュンと唸り声をあげる。雨は降るし、近所には食べる所もなさそうなので、仕方なくポウザーダで食事をすることにする。ギマランイスではジーンズ姿で食事をして、恥ずかしい思いをした奥村さんはスーツにネクタイで食堂にやってきた。
ところがギマランイスのポウザーダとは違い雰囲気はとてもカジュアル、せっかく盛装をして来た奥村さんは残念ながら浮いてしまっていた。食事も終わり久しぶりにテレビをつけて、ガチャガチャとチャンネルを回していると日本語放送をしているではないか。しかし、電波が遠いのか暴風雨のせいか、ほとんど映像は映らず音だけが聞こえ、まるでラジオである。
不思議なことに、コマーシャルの時間になると突然映像が鮮明になるのにはまいった。そういえばセトゥーバルの画家・武本比登志さんが「今はポルトガルでも日本のテレビが見えるんですよ」と言っていたのを思い出した。
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