2009年6月、私はかけがえのない友人を失った、100歳だった。彼の名は、Percy Becker。みんなは、彼をPappy(パピィー)と呼んでいた。彼と知りあったのは、30年以上も昔、ロサンゼルスと日本を仕事で忙しく飛び回っていた頃だ。
ある朝、「ハァーイ」と声をかけてくれたのがベッケル夫妻だった。2人ともネブラスカ出身、とても気さくで話し好きだった。すでに退職して年金暮らしだったが2人の生活はとても楽しそうで、私も老後は彼らのような人生をすごしたいと何時も思っていた。
1年のうちの3~4ヶ月はキャンピングカーに乗ってアメリカ全土を旅行。行く先々で沢山の友人を作っていた。ロスアンゼルスの自宅にいる時も、朝からスケジュールがいっぱい。決してボーッと座ってテレビなどを観ない。
朝の運動は2人で近所を一周して、前庭に投げ込まれる新聞を各家の玄関のドア前におく。アメリカの新聞配達は車の窓から玄関めがけて投げるからだ。日本のように丁寧にポストに入れてはくれない。アメリカの新聞は日本のものよりぶ厚く、新聞受けに入らないからだ。
パピィーが退職したのを期に妻のビューラも主婦業を退職、朝、昼の食事は各自が作り、夕食はビューラが作るのだ。パピィーの朝食は何時もオートミールと果物。昼食は前夜に残ったミートボールサンドなどを食べていた。妻のビューラはガールスカウトの連中と昼食だ。
生活は質素そのもの、そして毎週木曜日が買出しの日。木曜日は、新聞のフード欄に添付されるクーポン券が利用できるからだ。彼はそれを丁寧に切り抜きスーパーマーケットへ持って行くと、何セントか割引される。ダブルクーポンの日に重なると、それが2倍となるからたまらない。その日を待っているアメリカ人は相当多い。パピィーもその中のひとりで「ごらん、今日は5ドルも倹約したぞ」とレシートを自慢げに私に見せるのであった。
お気に入りのワーゲンも全て自分の手で整備をするし、2~3年に1度は家の内外の壁をペンキで塗りかえる。屋根の修理、台所、浴室のリフォームもお手の物だった。私には彼がスーパーマンに見えた。アメリカでは人件費が高いので、なるべく人に頼まず自分でする人が多い。
我が家の雨漏りがひどくなり、パピィーと一緒に屋根に登りコールタールと格闘しながら修理したことを思い出す。彼の自慢は、子供のころから病気ひとつしたことがないことだ。処方箋の薬も飲んだことがないし、入院もしたことがない。
何時も考えがポジティブで、私が必要なときには必ず助けてくれた。その頃、私はアメリカ人の夫との離婚問題もあり、最高の相談相手だった。自分の父より身近で、いろいろな話をした。その後アメリカに行った時には、必ずパピーの家を訪ねた。
娘のバーバラによると亡くなる3日前まで元気で散歩し、最後の2日だけ病院に入ったと聞いた。彼の最初で最後の入院だった。
文:吉田千津子 写真:奥村森
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