11 Beatrice Douillet ベアトリス・ドゥイェ Ⅲ

幸子さんが、土牛画道探索する僕に共感

奧村土牛作品『門』を主題に民放テレビプロダクションのデレクターから出演依頼があった。これまで何度か体験したが、いづれも大切な発言がカットされ、不信感があり積極的な気もちになれなかった。しつこいぐらい内容確認をして納得できたので了承した。取材は姫路城で行われた。

結果は最悪。土牛の弟子と名乗る大学教授が、まるで同行したかのような口調で解説、当時撮影した僕の写真は、そのダシに過ぎなかった。捏造コメントも含まれていた。そもそも土牛に絵仲間はいたが、弟子は一人もいない。若くても才能ある人はいるから、弟子扱いしては失礼と考えていたからだ。

父が亡くなってから、にわかに弟子と名乗る人達が増えた。その原因を作ったのは、父の絵仲間のひとりが美大教授をしていて、土牛死後、教え子達に『奧村土牛の弟子』と言えば、絵を買ってもらえる、仕事ができると告げたたからだ。それに便乗した者の中には、画家、美大教授、芸能人などがいた。

誤った土牛評価を正すため、問題点を示して訂正を要求したこともあったが、相手は学芸員資格をもったプライドの高い人々、いかに息子が目にした真実を訴えても一蹴されるだけだった。何とかしたいと、幸子さんが開講するカルチャーセンター『松庵舎』で『奧村土牛/美を楽しむ』講座を開始した。

『美を楽しむ』の受講者は多くはなかったが、父に縁のある方達のお孫さんが訪ねて来られ、聞いたこともなかった奧村土牛情報が得られたのは収穫だった。それを見ていた幸子さんが「わたし、学芸員の資格取ります」と宣言した。懸命に土牛画道を探索する僕に共感してくれたのだ。

幸子さんの学芸員挑戦、気迫が凄かった。多忙にも拘らず、一発で難しい資格試験をパス。息子から見た父の人柄、創作者としての姿。記憶に基づいて語るのは自分の役目だが、思い込みによる勘違いもある。それを幸子さんが学芸員の見識で訂正、百年後にも通用する資料に書き直してくれるだろう。

文と写真:奧村森

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