1950年の幽霊事件の話をするね。。東京から父を訪ねて5人の若手画家が穂積までやってきた。食料不足だから大したご馳走はできなかったけど、その夜は、母の姉・森静江がご飯の残りを壺に入れて発酵させた濁り酒を振る舞い歓待したんだ。みんな喜んでいたよ。
カッちゃんは5人の若手画家の顔は知っているけど、女流画家が遊んでくれたので、二人の名ははっきり憶えているよ。後列左・吉沢照子さんと3人目・西川春江さん。二人とも画家として活躍されたよ。西川さんのあだ名は『はんぺん』さん、気さくで親しみある人柄だからだろうね。
土牛は尋常高等小学校に入学。一番の親友は、道の向いに住む吉沢善次郎さん、ぜんちゃん、よっちゃんと呼びあう仲だったんだよ。学校から帰ると二人で絵を描いて遊んだんだ。後列左の女流画家は善次郎さんのお嬢さん、吉沢照子さん。親友の家族との絆も大切にしてたんだ。
5人は食事が終わると今夜泊まる大広間に移った。この部屋は『百畳広間』と呼ばれ、現在、奧村土牛記念美術館メイン展示場になっている場所だよ。その日は強風で木立がヒューヒューとなり。雨戸がカタカタと音をたてる不気味な夜だった。
画家5人組は床に入ったけど、恐くて眠れなかったみたい。そのうち女のうめくような声が聞こえる「ウ~、ウ~、ヒゥ~ゥゥ~」。5人は飛び起き、寝間着姿で一目散に土牛家族が寝ている離れに駆けこんだ。時刻は草木も眠る丑三つ時。
渡り廊下のスノコを「ガタガタガター」と騒々しい足音が聞こえたかと思うと、玄関を「ドンドンドン」と激しく叩く音。一階の八畳間に川の字に寝ていた土牛家族全員、なに事が起きたのかと飛び起きたよ。
部屋の玄関に一番近い所に寝ていた静江おばちゃん(土牛の妻の姉)が「はい、開けますからちょっとまって」と応えた。「5人は肩で大きく息をしながら顔面は蒼白だった」とカッちゃん、大きくなってから静江おばちゃんから聞いたんだって。奧村土牛研究員クロ
(重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。著作権法に従って無断転載を禁止します。記事を利用される方はご連絡お願い致します。