フランス旅行顛末記 7

          Le Mont St Michel モン サン ミッシェル

Le Mont St Michel モン・サン・ミッシェル

2011年5月18日早朝、モン・サン=ミッシェル行きの TGV(新幹線)に乗るためにモンパルナス駅に向かう。モンパルナス駅講内は荷物を持った沢山の人々でごったがえしていた。パリの駅は東京駅と違って、行先によって駅が異なるので注意が必要だ。ブルターニュ地方に行く列車はモンパルナス駅から出発する。小さなキヨスクには30センチ以上もあるバゲットサンドが山のように積まれている。
TGV乗車前にチーズとハム入りのバゲットを一本ずつ買いこみ昼食に備える。車内は、ほとんど満席。パリ・モンパルナス駅から約2時間半で Rennes(レンヌ)に到着、そこからモン・サン=ミッシェル行きの大型バスに乗り換える。バスの乗車口で11.40ユーロの乗車券を買う。
さすがに観光地行の乗物、日本人親子や大きなバッグを持った青年がいた。5月は観光シーズンがすでに始まっているらしく、バスは各国から訪れた観光客で満員だ。バスは私達を乗せてどんどん海岸線に向かう。やっと遠くの方に豆粒大の小さな島が見えて来た。それがモン・サン=ミッシェル。
モン・サン=ミッシェルは、江ノ島と同じだと耳にたこが出来るほど相棒から聞かされていた。バスはモン・サン=ミッシェルの真ん前に停車。その反対側にも広大な駐車場があり、沢山の車で埋め尽くされていた。 以前は、こんなに近くまでは来られなかったが、今は海を埋め立て駐車場になっている。
モン・サン=ミッシェルは、最近、駐車場が原因で潮の流れが変化し、砂がどんどん溜まって海が浅くなっているので、昔の姿に戻そうという運動が起こっている。現在は昔の姿に戻っているらしい。訪れた観光客で、もうデパ地下の食品売り場のような混雑だ。風情も何もあったものではない。
道幅も狭いので余計込み合っているように感じる。道の両側にはレストラン、土産店、ブルターニュ名物ガレットを売る店が軒を連ねる。まるで江ノ島だ。店によっては下手な日本語でガレット3箱で21ユーロなどと書いてある所もある。いかに日本人が、ここでお金を落としているのかが伺える。
くねくねと曲がった石畳の路地を登ると、中腹にテラスがあって湾を一望出来る。遠浅の海が何処までも広がっていた。この日はとても暑くて汗がしたたり落ち頂上まで行く気にもならない。おまけに2つの小型スーツケースを両手に持ち、引きずりながらだから大変だ。
のどが渇いたのでちょっと飲物とクレープを食べようとレストランに入ったが、クレープは昼食時には食べられないと追い出されてしまった。クレープが食べられるのは午後3時以降らしい。仕方なく飲物だけを買い、入口近くの公衆電話の下にあるベンチに腰掛けて人間観察をすることにした。
人間観察をしていると、そこに杖を持った老夫婦がやってきた。二人はもう80歳はとうに越えた感じの素朴な人達だった。海外に行くと急に社交的になる相棒が、早速彼らに「何処から来たのですか」と聞いた。すると「アンドラです」と答えた。相棒は「アンドラですか、懐かしいな」と言った。
老夫婦は「アンドラをご存知ですか」と、とても喜んだ。「アンドラといっても、殆どの人は何処にあるか知らないんですよ」と言う。昔、相棒はアンドラを旅して一枚の写真を撮ったので鮮明に覚えていた。アンドラ公国はピレネー山中にあるミニ国家で、フランスとスペインの国境に接している。
アンドラ公国の歴史は8世紀にフランスのシャルマーニュ王によって設立されたが、フランスとスペイン2国にまたがっていたため、何時もフランスとスペイン間で争奪戦が行われていた。1278年に双方が和解し、以後フランスとスペイン両国の統治となっている。
アンドラの治安は、フランス国家警察、スペイン・バルセロナ警察が一年毎に交替で守っているというから面白い。フランス語とスペイン語(カタルーニャ語)が通じるらしいが、私達が会った老夫婦はスペイン語で話していた。私はポルトガル語とスペイン語チャンポンのポルトニョールで会話した。
老夫婦は、とても熱心なカトリック信者らしく、足が悪いのにもかかわらず頂上に登り教会を見学してきたとのことだった。そんなに小さなアンドラ公国でも、3月11日の東日本大震災の津波のことを知っていて「大変でしたね、貴方のところは大丈夫でしたか」と気遣ってくれた。
老夫婦は「私たちにも日本人の友人がいますよ」と話していた。一時間ほど四方山話をして「Bon Voyage」と言って帰っていった。その後、静岡から来たという団体旅行のおじさんは、一方的に自分の事と買物のことばかり話す、がっかり。
そして、その日本人観光客のおじさんは、「さよなら」も言わずに去っていった。相棒は「失礼な奴だなあ」と怒った。人間観察は楽しいが、午後4時のバスを逃したらサンマロまでのバスは、もう今日はない。急いで乗り場へと向かう。

文:吉田千津子 写真:奥村森

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