フランス旅行顛末記 14

             La tour Eiffel エッフェル塔

やっと帰国

2011年5月25日、いよいよ帰国の日。モンパルナス駅前からリムジン・バスに乗ってシャルル・ドゴール空港に向かう。バスは乗客で満員。運転手に国際線のエール・フランスまでと告げると、彼は「判りました」と返事をした。空港に到着すると、次々乗客が降りて行く。

いよいよ私達が降りる国際線なので準備をして、バスの運転手に「ここなの」と何度か聞くと「ここだ」というので慌てて荷物を持って降りたのだが、なんと一つ手前のバス停で降ろされてしまった。仕方なく重い荷物をひきずりながらエール・フランスのカウンターまで行った。

空港はアイスランドの火山噴火で500便以上のヨーロッパ線、国際線がキャンセルになっている。そのために国際線は閑散としている。カウンター前には時間が早いせいか乗客がぜんぜんいない。

見回すと、カウンターの手前にセルフ・チェッキングのコンピュータが10台以上並んでいる。チェックインは昨日すでに済せてあるので、あとはボーディング・パス(搭乗券)を受け取るだけである。コンピュータ前に男女2人の係員が暇をもてあましていたので聞いてみる。 

「ボーティング・パスはカウンターで貰うのですか」と聞くと、女の係員は「いえいえ、お客様自身がコンピュータに入力して受け取って下さい」という。

「えっ、私達一度もボーティング・パスを発券したこともないし、コンピュータはフランス語なので教えてもらえませんか」と頼んだが、係員の女は「判らない時は呼んで下さい」とつれない返事をのこして行ってしまった。私達団塊の世代は、コンピュータの言いなりになるのは抵抗がある。

仕方なく2人で知恵を出し合い、やってみることにした。コンピュータで切符のチェックインが出来たのだから、きっと大丈夫だろう。 コンピュータの指示どおりにボタンを押すと、判らないフランス語が出てきた。いい加減に Oui(はい)と押すと1人200ユーロを別払いしろとの表示が出た。 

何で支払う必要があるのかが判らない。もう切符は支払ってあるし、座席も決まっている。そこで、先程の女係員を呼んで聞いてみると、よい座席に変更したい人は200ユーロ支払えば変更出来ますという説明、しかし私達はこれ以上支払う気はない。 

女係員は仕方ないという顔をして、チョコチョコとコンピュータを触り「Voilla」(どうぞ)と言い2枚の搭乗券を出した。私が航空会社に勤めていた頃とは違い、今は乗客もコンピュータが出来ないと飛行機に乗れない時代になった。コンピュータ世代に育っていない私達には生きにくい社会になった。

ボーディング・パスには出発は時間通りと印刷してある。アイスランドの噴火の煙は幸運にも、まだフランスの上空には到達していないのか。パスポートチェックを受けてゲートまで行く。ゲードはガランとしている。 

ゲートは日本の閉鎖的なものとは違い、ドーム型で天井が高く、外光の入る明るく気もちのよいゲートになっている。テレビモニターに出発時間が刻々と映し出される。エールフランスのカウンターからゲートまでは、かなりの距離がある。

航空係員や空港従業員は、セグウェー風スクターのような乗り物を使って空港内を縦横無尽に走りまわっている。相棒は、その乗り物を羨ましそうに横目で見ながら欲しがっていた。そうこうしている内に出発時間が近づいて来た。

しかし、ゲートからの呼び出しもなく、乗客もパラパラと座っているのみ。やはり遅れそうだ。遅れても今日搭乗できれば御の字だ。思ったより早く飛行機は1時間半遅れで離陸した。機内は、やはり空いていてパリからの乗客は少なく日本人の客が多かった。 

重い荷物を上のコンパートメントに入れようと四苦八苦していると、何処からかともなく「助けましょうか」と日本語が聞こえた。振り向いても、それらしい日本人はいない。その声の主は隣に座っているハンサムなフランス人青年だった。

ハンサムなフランス人青年は、Rennes(レンヌ)の出身で、以前少し日本に住んだことがあるとのこと。今、家族はスペインに住んでいると言っていた。今回は、日本語の検定を受けて仕事をしたいと猛特訓をしていた。機内でも一生懸命、教科書をだして勉学に励んでいた。

離陸して何分かして機長のアナウンスがある。それによると今日のフライトはアイスランドの火山噴火の煙を避けるため、いつもの飛行ルートを変更し、ポーランド上空を迂回することになり、飛行時間は大幅に遅れるだろうとのことだった。

旅は道づれ世は情け、パスポートを盗まれ、地下鉄で女検札官に捕まりそうになったり、色々な事件に巻き込まれたがケガも病気もせず日本に無事辿り着けたのは運がよかったと言うしかない。フランス人学生に助けられ、泊まる予定のなかったクロードの所に世話になったりフランス人の情けを感じた。

結局、飛行機は午前9時の到着予定が、大幅な遅延で私達が成田に到着したのは午後1時だった。4時間遅れである。乗れるはずのリムジン・バスはとっくに行ってしまい、次のバスは午後3時だと聞いて疲れがどっと出た。

タクシーに乗るのはもったいないので、成田空港で時間をつぶしてやっと帰途に着いた。今回の反省として、次回から旅する時は方角をよく調べてから出かけることに決めた。

文:吉田千津子 写真:奥村森

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