68 ハリウッド生活とフライトあれこれ

借りたアパートのマネージャーは女性二人、レスビアン夫婦だった。さすがハリウッドとチズちゃんは思った。一人は男らしく、短髪で背も高くガッチリとした体格、何時も肩を揺らして歩く。パートナーはとても優しそうなブロンド美人。マネージャーの仕事は主に男らしい彼女、ケップがしていた。

GLBTは日本でも社会的に認知され始めてはいるが、1970年代はまだ日本では認知されていない時代だった。ブラジルでは、すでに社会的に受け入れられていたように思う。たとえば、Varig航空は男性乗務員の数のほうが女性乗務員より多く、ゲイの人達の割合も多かった。

Varig航空は日本の航空会社とは違い男性が多く、クルー15人中4人が女性乗務員という割合だった、それでチズちゃんは、長い間働く事が出来たのではないかと思っている。乗務員の中でも一番働きやすかったのがゲイの人達、彼らはとても繊細で良く気がつき、サービス精神旺盛で優しかったから。

会社ですでにゲイの人達と一緒に働いていたこともあり、チズちゃんにとっては、このレスビアン夫婦のマネージャーには何の違和感もなかった。二人はアメリカ生活が初めてのチズちゃんにとってはお姉さん的存在で困った時は何時も協力的で、とても優しくしてもらったので感謝している。

ロスから成田へのフライトは時差が16時間から17時間(夏時間により変化)と大きいので、この間のフライトは身体には非常に辛い。ロスとリオ間の時差は5時間だが、今度は北半球から南半球への移動で温度差が大。真冬の2月にリオは40度の真夏なので30度以上の温度差で皆身体の調子をくずした。

フライトが日曜日の午前中にロスから成田に向かうと成田到着は月曜日の昼頃になる。反対に成田を日曜日の夕方に出発すると、ロスには同じ日曜日のお昼に到着。一日戻ってしまう。お誕生日を2度したい人はこうすると二度お祝いすることが出来る。これは日付変更線のなせる技。

Varig航空の乗務員は日本の航空会社とは対象的に男女の比率が全く反対で男性が多い。だからチズちゃんは長い間、Varigに働いていられたのだと今も思っている。男性の乗務員のなかでも一番一緒に働いていて楽しいのはゲイの人達で、とても繊細で気がよく付き、サービス精神旺盛で優しかったから。

ロサンゼルスから成田へのフライトは、行きがアラスカのアンカレッジを経由して約11時間、帰りは成田からロサンゼルスまでジェット気流のおかげで経由なしで約10時間のフライト時間だった。今は直行になったが、その頃は給油のためにアンカレッジ経由の航空会社がかなり沢山あった。

アンカレッジ空港内にはDuty Free(免税店)があり、時計、化粧品、ブランド・バッグなどを販売して賑わっていた。働いている売り子さんは、アメリカ軍人と結婚をした日本女性が多かった。おおぜいの日本人乗客がやって来るのを見越して、後にうどん屋が出来、それを楽しみに来る人も多かった。

いつも沢山の日本人で賑わっていたアンカレッジだが、こんな事が一度起きた。日本行の乗客が給油のために約一時間待つが、時間によって複数の航空会社が同時に到着する事がある。給油後、全乗客が飛行機に戻り、出発のため、乗客数をカウントするが何度数えても一人多い。これでは出発できない。

調べると理由が判明。別々の航空会社でアンカレッジに到着した友人同士が出会って嬉しくなり、友人の飛行機に乗り込みチャッカリ座席にすわっていたのだ。グループ旅行の人によくあるケース。自分がどこの航空会社に乗っているのかも認識していないお年寄りが多いので、こんなことが起きる。

チズちゃんは、何時もアンカレッジに飛行機が着陸態勢に入ると、小さな窓から外を観察。白熊やムースが歩いてはいないかと期待していたが、残念ながら空港付近では見ることができなかった。空港内には5mもあろうかと思われる白熊の剥製がデンとガラスケースに収められていたのが圧巻だった。

Varig航空は1968年に成田に乗り入れて3年目で余り知られていなかった。乗客が少なく、クルーの人数と同じくらいの乗客数だったこともある。笑い話のようだが、クルーが競ってお客様の取り合いをしてサービスするほどだった。それでもVarigの成田行きを、何時も選ぶ常連のお客様が何人かいた。

常連客は、乗客数が少ないのをみこしてエコノミークラスに乗り肘かけを上にあげると、ゆっくりと寝て行けることを知っているビジネスマン達だった。チズちゃんも彼等と顔見知りになり、好みの飲み物やドリンクをおぼえておもてなしをしていた。その中の数人と家族ぐるみのお付き合いが続いた。三毛猫タヌー

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