83 イランからロスに来た友人、ラディ

ロスにはイラン人移民が沢山住んでいる。1979年にパーレビ国王がイラン革命で失脚して以来、アメリカへの移民が極端に増えた。ある日、ビバリーヒルズにある家具店主と知り合い、彼女の店に行くと可愛い女の子がそこで働いていた。彼女の名はラディ・ロシャニアン、イラン人だ。

ラディは、家具店で経理係をしながらUCLAで宇宙工学を学んでいた。彼女は両親と兄との4人暮らし、ピコ・ボリバードにある3LDKのアパートに住んでいた。彼女は若いのに色々な人生経験をしていた。ロスに来る前、父親は外交官でパリとニースに家とアパートをもっていた。

ところが父親がパリで在任中にイラン革命が起き、パーレビ国王が失脚。丁度その時パリに居た一家はテヘランに帰国する事が出来なくなり、命からがらパリから家族4人でロスへ逃げてきたと言う訳だ。父親と兄は慣れないアメリカでビジネスを立ち上げるも2~3年で失敗、倒産してしまう。

外交官の仕事しかした事のない父親は倒産後、心を病んでしまい仕事もせずに家に閉じこもっていた。母親はとても明るい性格で50歳を過ぎてはいたが、優雅な生活を諦め花屋で生まれて初めてのアルバイトをしていた。主な生活費はラディの給料と兄が細々と始めたカメラ屋の収入だけだった。

ある日、ラディの家に遊びに行くと玄関に掛けられているアンティークの大きな鏡に新聞紙がベタベタと貼ってある。聞いてみると夜、父親が鏡を見ると突然暴れ出し殴りかかるのだと言う。父親は余りの生活の変化に耐えきれず、様々なストレスで精神を侵されてしまったらしい。

ラディは『おしん』を思い起こさせる日本的な女の子だった。ラディ家の居間の飾り棚には父親が外交官時代に撮ったパーレビ国王との数枚の記念写真が飾ってあった。そしてナポレオン時代のアンティーク、ダイニングテーブルが置かれ、パリでのラディ家族の栄華を偲ばせていた。三毛猫タヌー

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