137 車社会のアメリカ

アメリカは車社会だ。特にロサンゼルスで車がないということは足がないのと同じこと。チズちゃんがロスに航空会社の仕事のために住み始めたのは1971年。初めは運転も出来なかったのでハリウッドのど真ん中に住んでいた。
ハリウッドに住んだ理由は、空港行きのリムジンバスが歩いてすぐのルーズベルト・ホテルに来ていたからだ。仕事の日はそこからバスに乗って空港へ通っていた。スーパーへの買い出しには大きな二つの車輪の付いた買い物カートをゴロゴロと引いて行っていた。
何しろアメリカの食品は量が多い、重いので引っ張るだけで一苦労だった。早く運転免許を取る必要があったが全てが初めての経験、何処でどの様にすれば良いのかチンプンカンプン。スーパーは近くにあったしブロードウェイというデパートも歩いて20分ほどの所にあり、余り不便を感じていなかった。
その内に日本の教会で顔見知りだった、テリーが現れてスーパーの買い物もロス周辺のドライブも何処にでも連れて行ってくれるようになったのを良い事に、全く運転免許を取る事を考えなくなった。ケセラセラのチズちゃんだった。
チズちゃんの生活は月の半分はロサンゼルス、残り半分は東京やリオだから、フライトから帰って休養をとって疲れがとれた頃にまたフライトという具合だった。なので車の必要性をあまり感じなかった。
運転免許を取る必要を感じたのはそれから2年後、テリーとの結婚後だった。丁度その頃、未明が日本でヴァリグ航空のステーション・マネージャーとして働くことになり、帰国するので車を譲りうけた。その時点ではチズちゃんはまだ運転免許を持っておらず車はガレージに駐車したままだった。
車はエンジ色、アメリカンモータース社フルサイズのステーションワゴン、軍艦のように大きい。その頃のアメリカでは沢山軍艦のような車がガソリンを撒き散らし我がもの顔で走っていたのだ。テリー曰く、初めは事故を起こすかもしれないので大きな車の方が安全だからと、この車をチズちゃんにすすめた。
チズちゃんは特に車にはこだわらない、どんな車でも走れば全然問題ない。人によってはベンツやBMWに乗りたいと思う人もいるかもしれないが、車は走れば御の字。そして、個人教授を探し数週間運転の練習をしてから免許を取った。こうして、アメリカ生活を始めて約2年後にやっとチズちゃんは運転免許を取ったのである。
アメリカと日本では、生活と文化の違いが沢山ある。例えば、車社会のアメリカでは車検というものはない。自己責任で自分の車を管理する必要がある。もし、アメリカで車検があったとしたら、きっと多くの人が多額の車検代を支払うことが出来ないと思う。車は足として家族の人数分所有しているから、とんでもない費用が掛かる事になる。
アメリカでは車検という制度がないので、ボコボコにへこんだ車や窓が割れたままの車も平気で走っている。日本では、そんな車を運転するのは恥ずかしい。それに直ぐに修理するので、とんでもなくボロボロの車はあまり見かける事はない。アメリカに比べると日本の車はとてもキレイだ。
しいて国からの検査といえば、車の排気ガスのチェック『スモッグ・チェック』がある。車のナンバープレートによってきめられていている。偶数、奇数で分かれていて、今年は偶数の年の番という具合だ。チズちゃんが暮らしていた当時、代金は20ドル前後で二年に一度すれば良かった。
もう一つアメリカに住み始めて、アメリカ人に教えられたのは、もし自動車事故にあっても、決して相手にSorry(ごめんなさい)といってはならないと言われた。もしも自分に落ち度があったとしても絶対に謝らないことが基本だ。アメリカは訴訟の国だから訴えられたりした場合、不利になるからとの理由。三毛猫タヌー
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