82 テリーを通してみえたアメリカ合衆国

アメリカには50州あるが、それぞれに愛称がついている。カルフォルニアは「Golden State」(黄金の州)、ニューヨークは「Empire State」(帝国の州)、ハワイは「Aloha State」(アロハの州)、オレゴンは「Beaver State」(ビーバーの州)、コロラドは「Mountain State」(山の州)など。

ある日、テリーが両親の住むアイダホまで一緒に行かないかと言った。チズちゃんはアメリカに来てからユタ州に行っただけで、その他の州には行ったことがなかったので、二つ返事で行く事にした。テリーは貧乏学生だったから車で行くという。

チズちゃんは何時も飛行機に乗っているから長距離ドライブに憧れていた。途中、時間が十分にあるから休みながらゆっくり行けばよいと考えた。何しろ小さなフォルクスワーゲンだから長く乗っていると腰が痛くなるし、単調なフリーウェイを走っていると眠気も襲ってくる。

アメリカには土産店やレストランのあるサービスエリアはない。食事は一度フリーウェイを降りてレストランを探し食事をしてフリーウェイに戻る。日本とは違いフリーウェイは無料だから日本のように出入りする度に料金を支払う必要はない。ガソリンさえあれば大丈夫、これが本当のフリーウェイ。

アメリカのフリーウェイは4車線、5車線は普通、それに行き先の指示も分かり易く書かれているので、知らない所を運転していても間違う事はまずない。チズちゃんはとんでもない方向音痴、でも大丈夫。それにフリーウェイの番号は南北方向は奇数、東西方向は偶数と決まっているから分かり易い。

余りに眠いのでフリーウェイを出て道端に車を止め仮眠したが、余りの寒さに眠れなかった。チズちゃんは、まだ運転免許を持っていなかった。テリーがネバダ、オレゴン州を通り、21時間1人で運転した。やっとアイダホに着いた時、さすがにチズちゃんも、こんな強行軍は2度としたくないと思った。

アイダホ州といえば、日本でも知られている有名なポテトの産地。アメリカの三分の一のポテトをアイダホ州の数十万エーカーの畑で生産している。テリーの両親はアイダホ州、ジェファーソン郡の郡庁リグビー近くの人口数百人の小さな村ライリーに住んでいた。

両親の家のまわりは見渡す限りのポテト畑で広大な土地には大きな自動散水機が何機も設置され、ゆっくりと弧を描いて動いていた。見渡す限りのポテト畑。これこそがアメリカ大陸と感じさせられる風景だった。

そして家の近くにはスネークリバーが悠々と流れ、6月になるとブラウントラウトやレインボートラウトが入れ食い状態で釣れた。ポテト畑の中には少し小高い丘があり、そこには、とてつもない大きな豪邸が建っていた。それはポテトで一財産を築いた「ポテトキングの家」だとテリーが教えてくれた。

テリーの両親はチズちゃんを快く迎えてくれた。多分、二人は日本人に会うのは初めてだったと思う。テリーのお父さんは20歳の時にドイツからアメリカにやって来た。お母さんにとってはドイツ人のお父さんとは三度目の結婚だった。お父さんは初婚だがテリーと妹を養子として受け入れてくれた。

テリーは4人兄弟、上の二人のお兄さんは最初の結婚で生まれた。不幸にも彼等の父親は病気で亡くなり、二度目の結婚で生まれた子供がテリーとその妹。しかし、彼らの父親は突然蒸発、今もって消息は分からない。お父さんがテリーと妹を養子にする際に色々手をつくして探したが見つからなかった。

蒸発したテリーの父親は、二度と現れることはなかった。シングルマザーになったお母さんは、4人の子供を抱えて二つの仕事を掛け持ちし、朝早く仕事に出掛け夕方家に帰ると今度は別の夜の仕事に出かけた。まだ、小さかったテリーは毎晩妹の世話をしながらお母さんの帰りを待っていたという。

その後、テリーの母親は4人の子供を育てるのが大変だったようで、3度目の結婚をしようとしたが子供達への家庭内暴力が日に日に激しくなり、お母さんはその男を追い出した。Poor Americanという言葉があるが、まさに彼等こそが”プア・アメリカン”という言葉がぴったりの家族だったと思う。

チズちゃんは、テリーからこんな話を聞かされた。子供の頃、彼が一番嬉しかったのは、週末になるとお母さんが大きなソフトドリンクのボトルを買ってきて、妹と一緒に飲むのが唯一の楽しみだったという。その話を聞き、チズちゃんは全く違う人生を送ってきた人が居る事を知った。

何時も教会に通っていた信心深いお母さんは、教会でこのドイツ人のお父さんに出会い三度目の結婚をした。テリーはお父さんと養子縁組をしたので、お父さんの苗字を名乗った。上の二人のお兄さんたちはすでに成人していたので、最初のお父さんの苗字を名乗っている。だから兄弟でも苗字が違う。

アメリカは離婚大国だ。結婚した夫婦の2組に1組が離婚をすると言われている。1970年代に急激にアメリカの離婚率が増えた。その理由として挙げられるのが、女性の社会進出と1969年に制定された条例、婚姻関係解消のために相手側の過失を証明する必要が無くなったためだと言われている。

離婚は相手の同意が無くても、どちらか一方が別れたければ即離婚が成立。ところが、2019年になり50年ぶりに離婚率が過去最低になった。それは経済的な理由。離婚するには多額な費用がかかる。弁護士をたてる必要もある。アメリカにおいて離婚ビジネスは約3000億円の大型産業になっている。

離婚は州によって違うが、平均200万円はかかると言われる。離婚時のゴタゴタを回避するために、お金持ちの人達は結婚する前にそれぞれの財産を守る為、お互いに契約書を交わす。それには離婚時の条件までもが詳しく記載されている。今や結婚、離婚は金次第となっているのは、ちょっと悲しい。三毛猫タヌー

(重要)ここに掲載する記事、写真等は全て著作物です。著作権法に従って無断転載を禁止します。記事を利用される方はご連絡お願いします。