69 1970年代のアメリカ

引越してまず必要なのは電話。70年代は便利な携帯電話は無く固定電話。電話会社に電話をして$26を払うと、直ぐに付けてくれる。20年以上経ちチズちゃんが帰国する時には、その$26が返却された。日本に帰国して電話をひくのに7万円を支払ったが、解約した折には一銭も返却されなかった。

東京のフライトから帰ると、スーパーに買い物に行く。ロスに住み始めた当初は車もないから金属製のカートを引っ張って近くのスーパーへ出掛けた。アメリカのスーパーは日本の10倍位の広さがあるから、目当ての品物を探すのも大変。大型のショッピングカートを押してグルグルと同じ所を旋回する。

慣れてくると買物時間も短縮。アメリカのスーパーの生鮮食品は、日本の様に袋詰やパック詰になっていない。野菜や果物は山積みにされ、そこには必ず秤が置いてある。自分で欲しいだけとって、備え付けのナイロン袋に入れて測る。それをレジに持ってゆくと、レジの人が正確に測ってくれる。

店の支払いは小切手。まず、銀行に行き口座を開設。それにはソーシァル・セキュリティー(社会保障)番号を取得する必要がある。この番号は税金や行政機関で何かを請求したり、クレジットカードを取得したりするのに必ず必要だ。アメリカ社会は、社会保障番号で全てがコントロールされている。

銀行で口座を開くと一緒に小切手帳を注文する。最近は日本でもデジタル化が進んでいるが、70年代アメリカでは支払いを小切手で行っていた。日本のように現金社会ではないので大金を持ち歩く習慣はなかった。今のアメリカは小切手はすたれ、デビットカードやクレジットカードでの支払いになった。

アメリカ食品の量は多い。アメリカ人家族は1ガロン(約4ℓ)のプラスティック・ボトル入りのミルクを買う。アイスクリームのビッグサイズは、バケツとしても使える程の大きさだ。日本に帰国してスーパーに行くと、アスパラガスが3本一束、セロリは一本ずつで売られていたのには驚いた。

ある日、スーパーでオレンジジュースを買った。量が多いので困っていたら、丁度いいサイズの紙パック入りオレンジジュースを見つけた。家に帰り飲もうとすると、凍っている。とかして飲むと、もの凄く濃く甘い。よくよくラベルを読んでみると、濃縮で2~3倍に薄めて飲むジュースだった。

今は何処に行っても日本食は、アジア系スーパーなどに行けば何かしら手に入るが、70年代は醤油一つにしても余り売っていなかった。やっとハリウッドのスーパーで見つけた醤油は、4ℓのカン容器。肉はステーキだけで、日本のようにスライスにしたお肉は一切なかった。

ブラジル人クルーが「とっても安くて良い魚のカン詰めを見つけたぞ」と誇らしげに話していた。そこで、どんなカン詰めか聞いてみた。すると種類も多くてラベルに猫の絵が描いてあるという。「それはキャット・フードのカン詰めだよ」とチズちゃんは言った。彼はそれを美味しく食べていたらしい。

70年代頃のスーパーには、様々な種類のペットフードが整然と並べられ、人間様の缶詰のように棚一列が全てペットフードコーナーになっていた。今とは違い、まだまだペットフードはブラジルや日本では普及していなかった。重いドッグフードをバッグに入れてブラジルに持ち帰えるクルーもいた。

街には、キャデラックや軍艦のような幅広のアメリカ車があふれ、小型車は人気がなかった。アメリカ車はとてもガソリンをくうが、そんなことはおかまいなし。忘れもしない、その頃のガソリンは1ガロン(約4ℓ)23セントの時代だった。車はガソリンを撒き散らしながら走っていた。三毛猫タヌー

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