86 チズちゃん、ついに結婚

チズちゃんがハリウッドに住み始めてから、もう数年がたっていた。チズちゃんは生まれてから家族はずっと転勤族だったから、自然と2,3年すると何処かに引っ越したくなる。ちょうどその頃、テリーが大学を卒業することになり、いよいよ何の仕事をするのかとの話題になった。

チズちゃんはテリーがハリウッドに現れて以来、友達として付き合っていた。友達は沢山いたから一緒にバーベキューをしたり、週末にパーティーを開いたりする仲間だった。ある日の午後二人で出掛けた帰りの車の中でテリーが「Will you marry me ?」と唐突に言った。外には夕焼けが広がっていた。

結婚を考えていないチズちゃんはビックリして「考えさせて欲しい」。と応えた。チズちゃんは余り結婚に興味がなかったし、今の生活に満足していた。テリーの事は嫌いではないが、ものすごく好きという訳でもなかった。付き合ってみると、とても勉強熱心でまじめ、優しい所は気に入っていた。

テリーは、日本語も話し読み書きまで習得していた。日本にも住んでいたこともあり日本文化にもとても興味があった。色々考えた末、一度位結婚をしても良いかなと思った。たまたまチズちゃんは仕事もあるし生活には困らない。以前からテリーは弁護士になりたいと言っていた。

アメリカで弁護士になるには、まず4年制の大学を卒業してからLow School(法学校)に2年間入学しなおしてから司法試験を受けなければならないので長い道のりだ。それに学校に行くには授業料も必要になる、アルバイトをしながら片手間にはLow Schoolには行けない。

チズちゃんには、男が働いて生活をささえるべきとの考えはまったくなく、今働くことの出来る人が働けばよいと考えていた。テリーが弁護士になった暁には現在の仕事を辞めて、もう一度アメリカの大学に入り直して勉強をしようと考えていた。

そんな訳で結婚することにしたチズちゃんは、日本に居る両親に報告することにした。チズちゃんの結婚は両親にとっては寝耳に水だった。二人の言い分は外国人との結婚は習慣、文化、考え方も違う、日本人同士でも難しいのにと反対の様子だった。お母さんは呆れ果てていた。

でも、両親はチズちゃんがアマノジャクだから反対されると、ますます反発する性格を知っていたから、頭ごなしに猛反対はしなかった。両親に反対されようが、チズちゃんは一度決めたら、すぐに「ハイ」と引き下がるような性質ではない。一応報告したのだから、まあこれでいいかと思っていた。

結婚をするためにチズちゃんはもう少し広いワン・ベッドルーム・アパートを探す事にした。ハリウッドから余り遠くない所と思いLos Feliz地区にターゲットを絞った。ロス・フィーレス地区はすぐそばにグリフィス・パークもあり、緑も多い。それに空港までは少し遠くはなったものの悪くない。

アパートはすぐに見つかった。N.Normandie通りの三階建てアパートの二階だ。小さなプールも付いている。大家さんも同じ建物に住んでいて、初老の日系アメリカ人夫婦だった。名前はジョージ・ササキと云った。3年の契約をしたいとお願いしたら、快く承諾してもらい嬉しかった。

アメリカでは、アパート契約は1年か2年毎の契約が普通。チズちゃんが日本人で、これからテリーがLow Schoolに行く話を聞いて、日系アメリカ人の大家のジョージは特別に3年間の契約をしてくれた。おまけに家賃までも少し安くしてもらいジョージ・ササキ夫妻には感謝しかない。

いよいよハリウッドから引っ越す、ハリウッドのアパートは家具付だったから、運ぶものはほとんどない。身の回り品とVarigのバッグとユニフォーム一式をテリーのフォルクスワーゲンに積みこんで数回往復すればそれで引っ越しは完了。新しいアパートも家具付だから何も買う必要もない。

アメリカで結婚するには、マリッジ・ライセンス(結婚許可証)を取得する必要がある。男女とも血液検査と女性は風疹の抗体検査をしなければならない。この検査をすればライセンスが発行される。チズちゃんは風疹に罹ったことがなかったので抗体がなく、ワクチン接種をした。

Varig入社当時から仲の良かったTちゃんに結婚することを知らせると、Tちゃんのお母さんが「それじゃ、ウェディングドレスをプレゼントしてあげるわ」と言ってくれた。Tちゃんのお母さんは洋裁が得意でオフホワイトのサテンでシンプルで素敵なドレスを縫い上げてくれた。

アメリカの結婚式は、日本のように豪華ホテルで沢山の人を招いてする人は少なく費用もかからないし時間も短い。教会で式をあげて、後で友人や親戚と一緒に会食というケースが多いので安価ですむ。豪華な結婚式をするのは、しいて言えば金持ちとラテン系の人達が多いようだ。

チズちゃんは教会員だったけど、余り熱心ではなかったので結婚式にはこだわらなかった。テリーは三代も続く敬虔なクリスチャン一家だから、神殿で結婚をするのが当然だった。それも両親の住むアイダホ州。友人を招待するには遠すぎる。チズちゃん側の親戚も来られるわけがない。

結婚式はアメリカ独立記念日『4th of Jyly』7月4日の一日前の7月3日と決まった。Varig航空に入って良かったのは1年に1カ月の休暇を貰える事。日本の会社では考えられないことだ。だから結婚式もゆっくりと余裕をもって準備ができた。7月の1カ月間を結婚式とハネムーン旅行にあてられた。

結局、チズちゃんのお母さんだけが来ることになった。お父さんは仕事の都合で来られなかった。お母さんがとうとうやって来た。結婚式はアイダホ州のアイダホ・フォールズの神殿で行われる。前回アイダホまでは自動車で20時間以上もかけて行って懲りたので今回は飛行機で行く事に決めた。

飛行機はロサンゼルス空港から直行便はなくアイダホ・フォールズまで飛び乗り換える。乗り換えた飛行機は30人位しか乗れない小さな飛行機、45分でポカテロ空港に到着。広い野原に小さなプレハブ小屋のような白い建物がポツと建っているだけの空港。テリーの両親がチズちゃん達を出迎えてくれた。

チズちゃんのお母さんは、英語が喋れない。知っている言葉は「ハロー」「サンキュー」位でチンプンカンプン。物おじしない性格だから平気でテリーのお母さんに日本語で話しかける。テリーのお母さんは目を白黒させながら日本語を聞いている。通じてはいないが理解しあっているようにも見える。

結婚式と言っても神殿の中に入れるのは信者だけだから、家族も親戚も信者でなければならない。出席者はテリーの両親、祖父母、妹夫婦、叔父夫婦、チズちゃん側はお母さんだけ。ところが前日、チズちゃんのお母さんは信者じゃないから、神殿の中には入れないということがわかった。

いよいよ朝から結婚式、チズちゃんは、お母さんと一緒に入れるものと思っていたからガッカリ。お母さんは「何で入れないの、せっかく日本から遥々やって来たのに」とおかんむり。でも、規則なので仕方がない、今さら洗礼を受ける訳にはい行かない。お母さんは神殿の外で待つことになった。

お母さんは昔から写真好きで何処に行くにもカメラを持って子供達の成長ぶりを撮っていた。今回もチズちゃんのウェディングドレス姿を撮ろうと張り切っていたのに、それがならなかった。という訳で残念ながらチズちゃんのウェディングドレスの写真が無い。

チズちゃんは、とてもおっちょこちょい。アイダホに来るのにバタバタしていて、ウェディングドレスや着物の事ばかり気にして、式後に着るドレスの事を不覚にも忘れてきてしまった。仕方なくお母さんの洋服を借りて会食に出席するはめになった。

結婚式後、市内のレストランで親戚一同ランチを食べ、その後テリーの両親の家でお披露目会をした。テリーの家族やその友人、教会員、親戚、近所の人達を招待して、ケーキとパンチでお祝いのパーティーを開いた。これはチズちゃん達が招待するので費用はチズちゃん達持ち。

準備は教会員の人達にすべてお任せ、ウェディングケーキ、パンチ、家の飾りつけ、全て彼らの手作感満載だった。費用も150ドルを支払っただけで、チズちゃん達が結婚式に使った費用はロスからアイダホへの旅費3人分とパーティー代のみだった。

パーティーに招待された人達は、それぞれ色んなプレゼントを持ってきてくれた。ケーキを作るブレンダー、バスタオルとハンドタオルのセット、壁に飾るデコレーション、パイレックスのボールのセットなど台所で使う物や身の廻りの品が多かった。

プレゼントといえば、アメリカは合理的な国だから結婚祝いの品物の選び方でプレセント登録リストという習慣がある。新郎新婦のお気に入りデパートや店に、彼らが必要とする品物を前もってリストアップして登録しておく。新郎新婦は友人達にリストが登録してある店をあらかじめ知らせておくだけ。

登録するとプレゼントをしたい友人達は、そのリストを参考に、その中から自分の予算にあった品物を探して買うシステムである。人によってはタオルやシーツの色やサイズまでバッチリと指定してある事もある。こうしておけば、同じプレゼントが重なるのを避けることもでき一石二鳥だ。

日本での結婚式のプレゼントは現金を持って行く場合が多いが、アメリカでは家族内では現金を贈る場合もあるが、普通は現金をプレゼントしない、それに引き出物の習慣もない。プレゼントを頂いたら後で丁寧な『Thank you card』を送れば礼儀を欠く事はない。

ドレスは忘れたが、着物を持って来ていたので、やっと結婚式らしい写真が撮れた。それにテリーの親戚の写真屋さんが特別に撮影に駆けつけてくれて沢山の記念写真を撮ってもらい嬉しかった。これでめでたく結婚式は終わった。次の日はお母さんが楽しみにしているスネークリバーでの鱒釣りだ。

チズちゃん家族は全員釣り好き。転勤族の家族は一時期、瀬戸内海に面した町に住んでいた。家の直ぐ近くには海があり週末になると一家揃って海釣りに出掛けた。キレイな色のベラやカサゴ、毒とげのあるオコゼ、アジ、名前の知らない魚が沢山釣れた。夜にはそれが夕食となって食卓に並んだ。

アメリカで釣りをするには、どんな小さな川で釣りをしても、まずライセンスが必要だ。期間は色々あって一日、一週間、一年券もある。何インチ以下の魚は必ずキャッチ&リリースをすること、それに何匹までは捕ってもいいかが決まっている。一日券は確か7ドルだった記憶がある。

7月は鱒のシーズン。チズちゃんとお母さんはいそいそと釣り竿を持って出掛けた。このシーズンにはトラウトフライという羽虫に似た虫が灌漑用堰のセメントに沢山発生して取り放題、それをエサにして糸をたらすと面白いようにブラウン・トラウトやレインボー・トラウトが釣れる。

お母さんは興奮気味、釣れる魚が大きい。日本の魚は磯釣りだと大きな魚はあまりかからない。あっという間に大漁となった。ライセンスの規定以上は釣れないので、釣った魚を家に持ち帰ってテリーのお母さんに料理してもらい、夕食に皆で美味しく食べた思い出が今も忘れられない。

チズちゃんの両親が揃ってアイダホ州のテリーの両親を訪ねる事が出来たのはチズちゃんが結婚してから一年後のことだった。チズちゃんのお母さんが二度目にアイダホに行った時もどうしても、もう一度したかったのがスネークリバーでの鱒釣りだった。

結婚式も無事おわり二人の生活が始まった。アメリカの新学期は9月から始まる。テリーは9月から法学校に入学することになった。期間は2年間、それが終わると司法試験がある。学校が始まると忙しくなるので、いちいち彼を当てにする事は出来ない。ついにチズちゃんは運転免許を取ることにした。三毛猫タヌー

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