94 ペルーで恐怖の緊急着陸、九死に一生を得る

4月の上旬、不定期リオ・サンパウロ便のフライトがまた始まった。3月から4月上旬にかけて、日本でお花見をするために沢山の日系人一世のおじいちゃん、おばあちゃんが、何十年ぶりかの帰国を楽しみながらお花見見物にでかけるのである。飛行機はロサンゼルス空港からリオに向けて飛び立った。
機内は日系一世の日本人で満席だった。彼らは若い時にブラジルに渡り苦労を重ねながら働き、やっと初めての日本帰国を実現した人も多くいた。機内は楽しくすごした日本での旅の話に花がさき、なごやかな雰囲気だった。いよいよ飛行機はロサンゼルス空港からブラジルに向かった。
チズちゃんは離陸した瞬間、何時もとは違う違和感を感じた。それが、何だったかは後になって判明する。飛行は順調に進み、食事も終わり乗客の人たちも休んだり、読書をしたりリラックスしたムード。このフライトはペルーの首都リマを経由、ジョージ・シャーベス空港で給油をしてからリオに向かう。
リマ到着の数時間前、いつもは現れないフライトエンジニアがキャビンをウロウロして機内中央部の床のカーペットをめくろうとしている。何をしているのか分からないので、同僚の乗務員に尋ねた。すると、彼は「あのカーペットの下に車輪をチェックする小窓があるのだ」と説明してくれた。
エンジニアの話によると片側の車輪のタイヤがパンクしているらしいとの事。チズちゃんがロサンゼルス空港で何か違和感を感じたのは、タイヤのパンクが原因だったのかもしれない。離陸時のガタッとした揺れは、それだったに違いないとチズちゃんは確信した。ということは、緊急着陸!
もし、車輪のタイヤがパンクしているのだとしたらチズちゃんの乗っている飛行機はリマの空港で胴体着陸をする可能性が大だという結論になる。チズちゃんは頭から血がスーッとひくのを覚えた。もしパンクだとしたら、150人の日系人乗客に緊急着陸の手順を指示する必要がある。パンクは決定的。
運の悪い事に、このフライトで日本語が話せるのはチズちゃんと日系二世の乗務員の二人のみ。日系一世の人たちは長年ブラジルに生活をしていてもポルトガル語が余り分らない人が多い。パーサーがやって来てこう言った「チズ、日本語の出来るお前がメガホンを持って乗客を誘導してくれ」と。
責任重大。パーサーがチズちゃんにキャビンの一番前に座るよう命じた。いよいよ着陸、手にはメガフォン(停電になるとマイクは使えない)を持ち、乗客にはメガネをはずし、ペンなど体を傷つけるものを取りのぞくように、緊急着陸の際には頭を下げて両腕で両足をかかえて伏せることなどを伝えた。
乗客はなにが起きているのか分からなかったが、怪我を避けるためにチズちゃんは緊急着陸時の心得を何度も説明した。乗客がパニックにならないようパンクの事は伝えないようにと機長から言われていた。乗客を落ち着かせる事が先決だ。チズちゃんたち乗務員が落ちついている必要がある。
笑顔をつくろうとしても顔が引きつった。チズちゃんは心を落ち着けようとしたが、ひょっとしたら、これで終わりかもしれない。そうなったらどうしようと色んな思いが走馬灯のように頭の中をグルグルと駆け巡った。でも遅かれ早かれ人間死ぬ時は死ぬ、と最後は腹をくくり、そう考える事にした。
いよいよ緊急着陸態勢に入る、機内をくまなく見回る。乗客は皆シートベルトを締めて緊張の面持ち。飛行機は上空を何度か旋回して極力燃料を少なくする必要がある。下を眺めると滑走路には白い泡状の液体がまかれ、数台の消防車が待機しているのが見える。胴体着陸に備えた準備は万全のようだ。
ブラジル人パイロットは軍出身が多く、操縦がとてもうまいのをチズちゃんは知っていた、それを信じて運を天にまかせるしかない。飛行機は高度をどんどん下げ、滑走路に向けて突き進む。パンクした左側のタイヤが地面に先につかないよう、右の翼を斜め下に傾けて着陸した。
ガタガタガタガタ、ガンガンガンと大きな音をたてながら飛行機はつんのめりながら止まった。ドアを開けると同時にシューターが滑走路に落下した。幸運なことに火災は免れた。全乗客、乗員が無事に機外に脱出した。乗客は誰一人怪我をすることもなく避難出来たことは本当に不幸中の幸いだった。
しかし、外から見ると、機体後部左側には2メートルほどの大きな穴があいていた。着陸した時にパンクしていた左車輪の金属部分が破損して機体にぶつかり穴があいたらしい。このままでは飛行はできない。急遽、リオより新しい飛行機を送ってもらう必要がある。
それには一日以上はかかるとのこと。すべての乗客は空港で一時待機することになった。というのもリマの空港にはヴァリグ航空の社員はいない。何時も給油だけなので他の航空会社に委託していた。それで、チズちゃん達、乗務員はユニフォームを着たままで地上でも乗客のお世話をすることになった。
今夜は全員リマで一泊することになる。ホテルを探してもらったが、生憎リマでは国際会議が開かれていたので街中のホテルは全て満員で空きがない。海辺に行けば宿泊場所があるとの事で、仕方なく海辺にあるモーテルのような小さなホテルまで150人の乗客を何台かのバスに乗せて向かった。
ペルーは南半球にあり4月はもう秋、思いのほか夜は寒い。おまけに海辺なので、なお寒かった。全ての乗客を部屋に案内、スナックのサービスをし、やっと自分の部屋にたどり着きユニフォームを脱いだ。ぼろ布の様に疲れ切っていた。翌朝、新しい機材がリマに到着し再びリオに向かって飛び立った。
胴体着陸に遭遇、いくら若いといっても、もうくたくたでエネルギーは残っていなかった。やっとのことでリオの赤い大地が眼下に見えた時、何故かホッとしたのを覚えている。
着陸態勢に入りアナウンスが始まると何処からともなく拍手が起こった。その時ほどチズちゃんは本当に生きていて良かったと思ったことはない。九死に一生を得るとはこの事だと思った。
このタイヤパンク事件以後、チズちゃんはフライトをするのが少し怖くなった。日本に居る母に連絡すると両親はもう危ないので、いい加減で止めたらどうなのと言う。母は2年働いて止めるのなら航空会社で働いてもよいと言っていた。その2年はとうに過ぎていた。
チズちゃんは最低10年働かないと本当に仕事をしたことにはならないと考えていた。そして、今止めてしまったら、せっかくのチズちゃんの思いも達成されずに終わってしまう。せめて10年間は何があっても働き続けようと決心した。三毛猫タヌー
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