101 十年間のフライト生活

チズちゃんは月3回から3回半、ロサンゼルスと東京を往復していた。Varig航空のロサンゼルス出発は午前10時頃だからフライトの日は朝5時に起きていた。夏の間は明るいが、冬になると真っ暗。身支度をしながら、何でこんな仕事を選んだのかと悔やまれた。タヌー

午前7時には家を出て空港に向かう、フライトの日はテリーが空港まで送ってくれた。グレンデールのチズちゃんの家からLA空港までは約80㎞、フリーウェイを使うと一時間かかるが405号フリーウェイは通勤時間なので何時も大渋滞している、事故でも起ころうものなら遅刻をしてしまう。

大渋滞を避けるため、チズちゃんはフリーウェイに乗らず側道を通り空港に行くことにした。その方が時間が読め安心だった。車はハリウッド、ラ・シエネガ通り、黒人の多い地区ジェファーソン通りを抜け、バーハムの丘に向かう。この辺りは広大な野原が広がり、家は一軒もない。

バーハムの丘では、右手にはキリギリス型の大きなクレーンが何機もギッコンバッタンと上下に動き、朝から晩まで石油を掘っている。飛行機が午前10頃に離陸すると東京までは約12時間、離陸後に昼食とスナック、そして着陸前に夕食のサービスがある。

フライト中は立ちっぱなしで仮眠時間が1時間から1時間半ある。日付変更線を越え飛行機は次の日の午後2時頃東京に到着する。お客様を見送ってからクルー全員が降り、イミグレーション、税関を通って空港外にでる。外にはクルー専用のリムジンバスが待機していて、銀座のホテルへと向かう。

バスに乗り込み、やっとチズちゃんはホッとして腰掛けることができる。そして眠気が襲う。ホテルに着くとすぐにユニフォームを脱いで私服に着かえ、食事に出掛ける。大体は機内ではゆっくりと食事もとれないし、機内食にはもう飽きているので、東京であっさりしたものを食べるのが楽しみだ。

銀座にあった讃岐うどんの店に行くのが常だった。疲れていても、我慢をしてすぐには寝ないようにしていた。午後6時頃になると強い眠気が襲ってくる。その時間に寝てしまうと大変、午前1時ころに必ず目が覚める。それで無理をして頑張って起きている。

9時頃まで睡魔と戦いながら起きていて休む、時差との闘いだ。そうしないと日本とアメリカ西海岸の時差をうまく調整できない。次の日は朝食のサービスが始まるのを待って一番に食事をして再びバッグに身の周り品や着替えをつめこみ羽田空港に向かう。

実家が宝塚にあったので伊丹空港までJALに乗り50分。フライトするたびに、実家に帰っていたので乗務員の人にも顔を覚えられてしまったほどだ。実家に着くと次の日は母と一緒に神戸に買い物にでかける。美味しい日本食を二人で食べて翌日には東京にトンボ返りの生活だった。

空港が成田に移ってからは少々不便になったので実家に帰る回数は減ったが、今あの頃を思い起こしてみると、始終動き回っていないと何か生きた心地がしないような、まるでマグロのような生活をしていた。そんな生活が10年間続いた。三毛猫タヌー

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