104 行方不明機のミステリー

チズちゃんがVarig航空に働き始めて8年目の1979年1月、成田空港でクルーと一緒にロスへの帰路のフライトを待っていた。すると乗組員が昨日、貨物機967便が離陸直後、太平洋上の銚子沖で通信をたって行方不明になったらしいとの話だった。この頃、一週間に一度の成田、リオ間の貨物便があった。

この貨物便行方不明は成田開港初の事件だった。機長他5名(副操縦士、セカンドオフィサー2名、フライトエンジニア2名)計6名が乗務していた。貨物の中には日本で行われたブラジル移民70周年記念展覧会のための日系ブラジル人画家マナブ・マベの絵画(20億円相当)が53点あった。

貨物機の行方不明後、すぐに海上自衛隊が空から捜索したが、数個の浮遊物と燃料が5キロにわたり流れているのが確認されたが、機体の残骸らしき物は発見されなかった。その後海上保安庁やアメリカ軍も協力して捜索するも何の手がかりも無かった、そして6日後捜索は打ち切られた。

貨物機が消息を絶った地点は水深5千メートルと深く、その頃の技術では探知不能とされた。乗務員6名は死亡と認定されたが彼らの家族は遺体が誰一人見つかっていないので信じるわけにもいかず、きっと何処かの国にハイジャックでもされて、その国で生きているのではと信じている遺族もいた。

因縁めいたミステリーを感じたのは、この貨物機を操縦していた機長は、1973年にパリ・オルリー空港で820便が火災を起こして不時着、大事故となり多数の死者を出した時の機長だった。だが、彼は奇跡的に生き残ったが、乗務員訓練をチズちゃんと一緒にしたドイツ人同僚テアは命を落とした。

その後遺留品も機体も発見されず、今も解明されていない。一般に大型ジェット事故は後に機体の残骸などが発見されて解明に至るケースが多いのだが、この場合は他の事故とは違い機体の破片や遺留品が一切見つからず、遺体も見つかっていないという謎のケースとされている。三毛猫タヌー

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