133 テレビ制作会社での仕事

仕事を探し始めてすぐに、3件の候補を見つけた。日本語、英語、ポルトガル語を使った仕事を探したが、残念ながらポルトガル語のニーズはなく、英語と日本語の仕事だけだった。ロスには沢山のメキシコ人が住んでいるのでスペイン語と英語の仕事は山ほどあった。

とにかく、チズちゃんは自分に一番合っている仕事を見つけたかった。そして長く正社員として働きたかった。一番目の候補はビバリーヒルズの目抜き通りロデオドライブにある有名宝石店での販売員の仕事。毎日、大勢の日本人観光客がつめかける場所だ。

チズちゃんは子供の頃からお店で働くのが大好きで、小学生のころ近所の青果店で放課後になると家に帰るやいなやランドセルをほおり投げ、すぐにお店に行きおばちゃんと一緒に「いらっしゃいませ~」とお客さんを迎えていた。何時も帰りには果物を一つ貰って帰るのが楽しみだった。

でも、チズちゃんにとってはビバリーヒルズという場所が何か落ち着かず不似合いで地に足がついていない感覚があった。どう考えてもチズちゃんとビバリーヒルズは不つり合いだった。宝石は青果店で働くのとはちょっと違う。インタビューの質問もピンと来ない。

第二番目の候補はチズちゃんのグレンデールの家から20分ほどの所にあるボールペンのインクをテストする会社の秘書だった。とても地味な仕事ながらちょっと興味があった。インタビューに行ってみると「是非あなたの様な方を採用したい」と好印象でとっても乗り気なのだ。

三番目の候補は、日本のテレビ制作会社のロス支店でのオフィスマネージャーの仕事。経理、通訳、翻訳、アポイントのお願いなど事務所に関わる全般の仕事で色んなことを1人でこなす必要がある。一つの事ばかりする仕事は飽きてしまうが、いろいろな事をするのは楽しそうだ。

テレビ制作会社のインタビューは支局長が東京へ出張中で、もう一人の日本からの出向社員Nさんが担当した。彼はチズちゃんの履歴書をみるなり「ブラジルの会社で働いていたのですか」と目を輝かせながら尋ねた。彼はブラジル好きで、出来たらブラジルで暮らしたいと長年思っていると話した。

オフィスは、こじんまりとしていてビルの8階にあった。社員は日本からの2人と現地採用が3人だった。社員はみな若くて、もしチズちゃんが働く事になれば最年長になりそうだ。場所はウエストウッドの中心にあり、UCLAの直ぐ近く。働く場所としては環境も治安もよいところだ。

そんなこんなで、インタビューはブラジルの話で盛り上がった。Nさんは帰りに「貴女を採用します」と言った。チズちゃんは「採用を決定されるのは支局長だとお聞きしましたが」と言うと、Nさんは「ご心配なく、僕が気に入れば支局長も同じ考えですから」とNさんは答えた。

チズちゃんは帰り際にNさんに「今別の仕事のオファーもあるのでどの仕事にするか決まり次第、またご連絡します」といい帰宅した。どの仕事もそれぞれ面白そうだった。そこで易学のせんせいのKimiちゃんのお母さんにお伺いをたてることにした。

チズちゃんにとって、今年はどの方角が一番良いのかのお伺いをたてることにした。結果、吉方は東と出た。ということはボールペンの会社ということになる。宝石店はチズちゃんの家からは西だしテレビ制作会社もウエストウッドだから、やはり西の方角となる。

チズちゃんが一番楽しそうだと思った会社はテレビ番組の制作会社だった。仕事自体も今まで経験してきたことを活かせる気がした。それにテレビ番組制作の裏側を見ることが出来る。どのようにして番組を作るのかにとても興味があった。

そしてチズちゃんは考えた、その制作会社は確かに方角としては西にあるが制作会社の社名は「イースト」と言う。イーストとは東という意味だ。それでチズちゃんは都合よく西にあるけど社名が東だから良いだろうと勝手こじつけた。そして働く場所が決定した。

チズちゃんが働くことになったテレビ制作会社「イースト」は、前にも書いたがウエストウッドにあった。チズちゃんの家からは高速を使わずにハリウッド、サンセット通り、ビバリーヒルズ、ベルエアを通って約40分でオフィスに着く。

社員は東京組・支局長IさんとNさん、現地組・マリー、デイビッド、ジョーンとそれにチズちゃんで計6人。この頃のテレビ業界は飛ぶ鳥を落とす勢いで海外でも、どんどん取材をして番組を制作していた。イーストの取材の地域もアメリカ本土とカナダにまで広がっていた。

イーストの制作していた番組は「世界まるごとHOWマッチ」、「すばらしき仲間」、「わくわく動物ランド」など、誰でも知っている人気番組を制作していてロスのオフィスも、その一環を担っていた。

支局長のIさんは面長でメガネをかけ、ちょっとハンサムで神経質。Nさんはブラジル好きで何でもどんどんと進めてゆく行動派。マリーは横浜育ち、家族は夫と子供二人。デイビッドも日本で暮らした経験がありの独身貴族。ジョーンはアメリカ育ち、やさしくて恐妻家。3人ともバイリンガルだ。

ロス近隣のロケは、チズちゃんがコーディネーターとなり運転手兼通訳をしながらしていた。ある日のロケは「ペット探偵」という話題。迷子の犬や猫を探す話だったがロケする場所がない。そこでチズちゃんの家を貸す事になり隣のシャーロンに出演料を払い、その家の女主人になってもらった。

急遽、テレビに出演する事になったシャーロンはとても興奮していた、おまけに出演料までもらえるのだから棚からぼたもちだ。シャーロンは3度結婚していて、二度目の夫は映画監督だったと言っていた。長年ハリウッドでも働いていた経験もあった。出来上がったビデオを渡すととても喜んでくれた。

シャーロンはペット好き、ミスティという猫とボーガードというビーグル犬を飼っていた。人生経験豊かでコラージュのアーティストでもあった。一人息子はハワイに住み学校の先生をしていたが、どんな理由があったかは知らないが、ある日、ダイヤモンドヘッドの崖から飛び降り亡くなったと聞いた。

イーストオフィスには、入れ替わり立ち代わり日本からの取材班がやって来た。その度にチズちゃんはロケハンやロケのセッティングをして準備をした。カメラクルーはロサンゼルスに常駐していた。多い時には2班の取材クルーが同時に撮影したりしていたのでオフィスは大忙しだった。

こんな事もあった。何の企画たったか忘れたがアメリカをトレイラーで一カ月かけて横断すると言う話だ。出発地はニューヨークで目的地はロサンゼルスだ。まずは4~5人乗りのトレイラーをレンタルする必要があった。今のようにネットで何でもすぐに探せる時代ではなかった。

マリーがあちこちに電話をかけて、やっと一台のトレイラーを見つけた。言いうのを忘れていたが、その頃にはニューヨークにもロスよりも小規模なイーストのオフィスがあり、Rokuさんという人が支局長として頑張っていた。取材班は、まずニューヨークに飛んで旅が始まった。

携帯電話も今のように発達していない時代だったので、撮影クルーからの連絡も街に入った時にしか来ない。出発から一週間ほどたち電話が鳴った。ディレクターからで、夕食をとりに全員で出掛けた間に車内に置いてあったカメラ機材を根こそぎ盗まれてしまったという連絡だった。

アメリカにチズちゃんが住み始めた1970年代でも、すでに車の中には絶対に物を置いたまま離れてはいけないと、口をすっぱくしてアメリカ人の友人には注意されていた。それほど車上荒らしは頻繁に起こっていたのだ。クルーは全員日本人だったからきっと気を許していたに違いない。

カメラ機材がないと撮影は出来ない。仕方なく、もう一度ニューヨークにとんぼ返りして、機材を再調達した。こんなとんでもない散財をした苦い思い出もある。これが何のための撮影だったのか、今考えても思い出せない。

イーストでの仕事は退屈しなかった。毎日良いこと悪いことを含め新しいことが起きた。沢山の人が出入りしていたので楽しかった。仕事も月末には経理の帳簿をつけたり、ロケ時の通訳、運転手やら一日オフィスのデスクにじっと座っているわけではないので、一日過ぎるのも早かった。三毛猫タヌー

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